湯浅誠が語る、広がる貧困と結婚できない人の関係
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1447385&media_id=40
mixiでこんなニュースが見れたことに、mixiに対して「なかなかやるじゃないか」と見直した。
それはいいとして、上の記事の一部に
「30代になっても結婚できず親と暮らすことを強制される」、というような文章がある。
これに対して、個人的に意見すると、
そりゃ結婚して自分の家庭もてたらいいのかもしれんけど、
働き始めて勤務地が遠くて親とはなれて、結婚して家庭もって、
毎日忙しく働いて、実家にも帰ることが無くなって、
親との関係が疎遠になるよりはだいぶマシじゃないかな。
と思う。
親に頼ることってそんなに悪いことなのか?と最近思う。
人に頼ることや親に頼ることはよくないこと、、、
自立して自分で家族や生活を養っていくことは大切、、、
後者が大切なのは分かるけど、それは養っていくという条件をクリアしてる場合で、
養っていけない、生活できない場合は頼るのは当然じゃないかと。
それを嫌がること自体に疑問を感じる。
ーーーーーーー
今フィリピンにいるんで、どうしても比較してみてしまうけど、
フィリピンでは家族間、親戚間の関係が強い。その背景には、仕事が無い、収入が少ないため、親ないし親戚にお金や物など頼ることが多いことにあると思う。
でもこれは、相互的なもので、言い換えればお互い様、である。
そして、頼った後は何かしらの形でお返しをする。
もっと広げて言えば親や親戚だけじゃなく近所や他人にも頼ることがある。
(ここでもの頼るはどっちかって言うと頼む「たのむ」)
ex) 小銭が無い時に両替を頼む、タバコの火を貸してもらう など
日本人的感覚でいうと・・・うざい、自分でしろ(以前私が感じたこと
フィリピン的感覚で言うと・・・いいよー(気軽にokする
どうしても自立が厳しい、生活が苦しいことで、誰かを頼る。
頼らざるをえない、というよりは
頼ることが当たり前(少し大げさに言えば
もちろん甘えることと頼ることは違うけど
仕事を求めて遠出する人も最近は増えているが、でもまだコミュニティでは親戚とか兄妹とかご近所に住んでいるということが多い。日本はちょっと遠いかな。大学で家はなれる人や、大阪東京で就職する人は、なかなか実家に帰れないだろうし
もちろん田舎にいるおじいちゃんとかはフィリピン人みたいな感覚で、
都会に住むわりと裕福なフィリピン人は日本人みたいかもしれないけれど。
こんな感じの頼る頼られる関係が、フィリピンでは見られる。そしてその関係が、湯浅さんの記事にあった縁ある社会を形成する。
無縁社会と貧困問題は根っこの部分でつながっているらしいけど、フィリピンは貧困だから縁を作っていく。もちろん、日本の貧困問題とフィリピンの貧困問題は性質がだいぶ違う。勉強してないから分からんけど。
でも、今の日本はネットのニュース見る限り暗いニュースが多いなって思う。自殺やら殺人やら、就活やら経済やら、日本のプロパガンダもっと前向きになって欲しい笑
自殺やらいじめやら殺傷事件やら、たぶんいろんな背景があるんだと思うけど、今の日本の「無縁」と「貧困」が織り成す社会は、この先不安で一杯である。
法律や保護など制度的な面も大事だけど、個人個人の縁を大切にする、広げていく、頼ってみる、頼られる、ご近所さんにおすそ分けする、実家に帰ってみる、兄妹に連絡入れてみるなど、個人のネットワークを見直すことでだいぶ楽になるのかなと考える。
昔の日本にみたいな。今の日本は経済発展もういいんじゃない?疲れるだけでしょ。って社会に出てない若造が言ったらきっと社会の先輩に怒られる。
書きたいことはいっぱいあるけど、ひとまず日本に帰ったらいろんな人に会いに行こう。家族団らんで過ごしたいものです。
みなさんも年末年始に実家に帰った時、ゆっくりじっくり家族や両親との時間を過ごしてはどうでしょうか。
2010年12月23日木曜日
2010年12月20日月曜日
第三回人権サミット 2010/12/05
一泊二日でダバオに行き、3rd Human Right Summitに参加しました。
2日に行われたKARAPATANの総会で決まった役員とInpeaceのメンバーなどが参加し、6日1日で行われたサミットに参加しました。記録係でしたが、連れがいなく大規模だったためなかなか楽しいと言えるものではなかったです。
ミンダナオ中で今起きているグローバリゼーションが背景にある事件を先進国はもっと知らなければならないのではないか。そしてそのシステムに歯止めをかけることをしなければ、大きな恐怖が逆に世界を脅かすのではないかと考えたい。
サミットの前日にビショップっぽい人の話はなかなかためになったと思う。あのような話をどんどん積み重ねていけば「変わる」かもしれない。そして、ここまでExtrajudicial killing やExtrajudicial prisonerがいる中で、フィリピンの方針が変わらないということは本当に一部の人だけで政治が動いているのだと感じる。
何かに不満を感じている時、それを主張することをここの人たちはやっている。それが左派であっても、当然のことなのかもしれない。フィリピンでむやみやたらに活動家が殺される背景には、その当然のことが弾圧されるからであって、間違っても活動が間違っていると言うことは無い。そしてそれが時に暴力化した時、また大勢の共産主義者が殺されるのだろう。
人権が守られないこの社会が変わるには一体何が必要なのか、政治的殺人・囚人だけでなく、コミュニティや社会的地位が改善されること、貧困が解決されるにはどうすればいいのか。フィリピンの人でなく、日本人として考えて生きたい。
2日に行われたKARAPATANの総会で決まった役員とInpeaceのメンバーなどが参加し、6日1日で行われたサミットに参加しました。記録係でしたが、連れがいなく大規模だったためなかなか楽しいと言えるものではなかったです。
ミンダナオ中で今起きているグローバリゼーションが背景にある事件を先進国はもっと知らなければならないのではないか。そしてそのシステムに歯止めをかけることをしなければ、大きな恐怖が逆に世界を脅かすのではないかと考えたい。
サミットの前日にビショップっぽい人の話はなかなかためになったと思う。あのような話をどんどん積み重ねていけば「変わる」かもしれない。そして、ここまでExtrajudicial killing やExtrajudicial prisonerがいる中で、フィリピンの方針が変わらないということは本当に一部の人だけで政治が動いているのだと感じる。
何かに不満を感じている時、それを主張することをここの人たちはやっている。それが左派であっても、当然のことなのかもしれない。フィリピンでむやみやたらに活動家が殺される背景には、その当然のことが弾圧されるからであって、間違っても活動が間違っていると言うことは無い。そしてそれが時に暴力化した時、また大勢の共産主義者が殺されるのだろう。
人権が守られないこの社会が変わるには一体何が必要なのか、政治的殺人・囚人だけでなく、コミュニティや社会的地位が改善されること、貧困が解決されるにはどうすればいいのか。フィリピンの人でなく、日本人として考えて生きたい。
2010年11月10日水曜日
マギンダナオ大量虐殺
昨年11月23日にフィリピン南部ミンダナオ島マギンダナオ州アンパトゥアン町で起こった残劇な事件マギンダナオ大量虐殺からもうそろそろ一年が経ちます。
私が昨年初めてミンダナオに行く直前に起こった事件であり、当時この事件を知ってミンダナオに行くことが少し不安になったのを覚えています。
この事件は市民、ジャーナリスト、弁護士を含む58人の犠牲者を出した近年のフィリピンでも大規模な大量虐殺です。
事件の背景は国政選挙まで6ヶ月となった頃、この地域の州知事の椅子を争っての政治的権力者同士の抗争です。
州知事に立候補するための届出を提出する移動中に、アンパトゥアンJrの私兵によって襲撃された殺戮事件でした。
事件の起こったアンパトゥアン町の町長の息子であるアンパトゥアンJrが首謀者であり、彼は父親の後継として立候補する予定でした。
襲撃に備え届出を本人が行かず、親族やジャーナリストなどを代わりに行かせ対立陣営が手出しできないようにしていたにもかかわらず起こった事件でした。
しかし、その首謀者であるアンパトゥアンJrらは国政選挙3週間前に起訴を取り下げられており、罪を問われていません。(詳しくはアムネスティインターナショナル日本の記事参照: http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=792)
このような罪にならない事件が起こりうるのが今のフィリピン社会のようです。政治的抗争・暴力によって生活を失う人も数多くにのぼります。
そして58人の犠牲者を祈り、この政治的殺害が横暴する社会への怒りを主張し、二度とこのような残虐な事件が起こらないように一周年期の今月22,23日に追悼記念イベントがマギンダナオ州で行われます。
テーマは‘Rage against Impunity! Justice for All Victims of the Ampatuan Massacre and other Extrajudicial Killings! ’(刑事責任免除への怒り!アンパトゥアン大量虐殺と司法権の及ばない殺人の全ての犠牲者への正義!) です。
22日にジェネラルサントス市で追悼行進とキャンドルライティング、23日にマギンダナオで平和を祈っての追悼キャラバン、街頭演説といった内容でミンダナオ島からだけではなくフィリピン全土から多くの人が募ってきます。
今回この大規模な一周年追悼記念イベントを行うにあたり、私は日本の人にもこのような事件が世界で起こっていることを知ってもらいと思います。 そして、漠然としていますが、これを知って世界がちょっとでも良くなることを日々思って生活して欲しいです。
皆が毎日平和な世界を願ったら、世界はちょっとずつ平和になるのではないかと思います。
そして、このマギンダナオ大量虐殺から一年、このイベントを運営し成功させるため、ミンダナオ島の平和のため個人活動ですが寄付のご協力をお願いしたいと思います。一人500円など小額でもかまいません、気持ちだけでも十分です。
ご協力してくださる方がいれば連絡してください。方法を模索中です。
フィリピンが不当に人が殺されない国になることを願います。
私が昨年初めてミンダナオに行く直前に起こった事件であり、当時この事件を知ってミンダナオに行くことが少し不安になったのを覚えています。
この事件は市民、ジャーナリスト、弁護士を含む58人の犠牲者を出した近年のフィリピンでも大規模な大量虐殺です。
事件の背景は国政選挙まで6ヶ月となった頃、この地域の州知事の椅子を争っての政治的権力者同士の抗争です。
州知事に立候補するための届出を提出する移動中に、アンパトゥアンJrの私兵によって襲撃された殺戮事件でした。
事件の起こったアンパトゥアン町の町長の息子であるアンパトゥアンJrが首謀者であり、彼は父親の後継として立候補する予定でした。
襲撃に備え届出を本人が行かず、親族やジャーナリストなどを代わりに行かせ対立陣営が手出しできないようにしていたにもかかわらず起こった事件でした。
しかし、その首謀者であるアンパトゥアンJrらは国政選挙3週間前に起訴を取り下げられており、罪を問われていません。(詳しくはアムネスティインターナショナル日本の記事参照: http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=792)
このような罪にならない事件が起こりうるのが今のフィリピン社会のようです。政治的抗争・暴力によって生活を失う人も数多くにのぼります。
そして58人の犠牲者を祈り、この政治的殺害が横暴する社会への怒りを主張し、二度とこのような残虐な事件が起こらないように一周年期の今月22,23日に追悼記念イベントがマギンダナオ州で行われます。
テーマは‘Rage against Impunity! Justice for All Victims of the Ampatuan Massacre and other Extrajudicial Killings! ’(刑事責任免除への怒り!アンパトゥアン大量虐殺と司法権の及ばない殺人の全ての犠牲者への正義!) です。
22日にジェネラルサントス市で追悼行進とキャンドルライティング、23日にマギンダナオで平和を祈っての追悼キャラバン、街頭演説といった内容でミンダナオ島からだけではなくフィリピン全土から多くの人が募ってきます。
今回この大規模な一周年追悼記念イベントを行うにあたり、私は日本の人にもこのような事件が世界で起こっていることを知ってもらいと思います。 そして、漠然としていますが、これを知って世界がちょっとでも良くなることを日々思って生活して欲しいです。
皆が毎日平和な世界を願ったら、世界はちょっとずつ平和になるのではないかと思います。
そして、このマギンダナオ大量虐殺から一年、このイベントを運営し成功させるため、ミンダナオ島の平和のため個人活動ですが寄付のご協力をお願いしたいと思います。一人500円など小額でもかまいません、気持ちだけでも十分です。
ご協力してくださる方がいれば連絡してください。方法を模索中です。
フィリピンが不当に人が殺されない国になることを願います。
2010年11月4日木曜日
日本人とフィリピン人
最近はラントンというコミュニティに毎日通っています。そこにはモロ女性センターが運営している小さなデイケア(幼稚園)があって、現在その拡張工事中でお手伝いをさせてもらっています。
単純に水運んだりセメント運んだりといった簡単なことしかしていませんが、毎日ラントンの人と話したり遊んだりしています。1~2歳くらいの子から好かれたり、15歳くらいの男の子と下ネタの話したり(あっちから勝手に話を振ってきます)大人たちと仕事がないないと話したりしています。
そしてその中で考えるのが私とフィリピン人の違いです。私=日本人一般ではないですが、私の経験から日本人とフィリピン人の習慣の違いを見てみたいと思います。
それとフィリピン人としているのはコミュニティの人としたほうが当てはまると思います。
彼らは子どもの時からたくましいです。家事を手伝います。外で遊びます。生活をするために仕事の手伝い、もしくは仕事をします。勉強はとりあえずおいときます。
そんな生活を毎日していく内に、特に男の子は重いものを運んだり木を切ったりココナッツの木に登ったり飛んだりはねたりしながら、筋肉がついていき習慣的にものすごく器用で力強いです。
今工事を手伝ってくれている人も子どもも泊まっている家のお父さんも屈強で驚く一方、私にそのような能力がほとんど無いことに人種として弱さを感じます。
日本の生活は身の回りに便利なものだらけで不自由することが余りありません。ゲームや携帯電話、家具家電、スイッチひとつで楽チン生活、電話ひとつでトラブル解消。
フィリピンではそんな便利な生活は難しいことこの上ないです。便利さが難しいから、その分自分たちで多くのことをしなければなりません。しかし自分たちの手で毎日いろいろやっていくことで、器用になり腕が太くなり屈強な人種になるんだと思います。
日本での21年の生活をふりかえって、自分が便利すぎる環境でぬくぬくと育っていったのを実感します。
話は少し変わりますが、工事とは関係なく今日テントを運んでいたら重かったのと雨で地面がぬかるんでいたのでテントの脚が足にぶつかり足首を切ってしまいました。血がだらだら出て傷口から白いなにかが見え痛かったですが、近くのおじちゃんの応急処置といっぱい人が集まってきたので思ったことがいくつかあります。
ぬくぬく育ってきた私はあっけなく怪我をしたこと
(きっと彼らは本能的に怪我なんかしないだろうな)
適切かどうかはさておき応急処置がすばやいこと
(怪我したって対処法を熟知している、怪我なんかよくある)
怪我、手当てを通してコミュニティの人とまたひとつ近づいたこと
(そこの人とどれだけ出来事を共有していきたい、迷惑をかけていきたい)
応急処置が思い切ってたこと
(応急処置にコーヒーの粉は傷口に正解なのか?)
毎日コミュニティに行っている内に、フィリピンの気質、人柄、習慣など習得できるように足を治してまたラントンを楽しみたいと思います。
単純に水運んだりセメント運んだりといった簡単なことしかしていませんが、毎日ラントンの人と話したり遊んだりしています。1~2歳くらいの子から好かれたり、15歳くらいの男の子と下ネタの話したり(あっちから勝手に話を振ってきます)大人たちと仕事がないないと話したりしています。
そしてその中で考えるのが私とフィリピン人の違いです。私=日本人一般ではないですが、私の経験から日本人とフィリピン人の習慣の違いを見てみたいと思います。
それとフィリピン人としているのはコミュニティの人としたほうが当てはまると思います。
彼らは子どもの時からたくましいです。家事を手伝います。外で遊びます。生活をするために仕事の手伝い、もしくは仕事をします。勉強はとりあえずおいときます。
そんな生活を毎日していく内に、特に男の子は重いものを運んだり木を切ったりココナッツの木に登ったり飛んだりはねたりしながら、筋肉がついていき習慣的にものすごく器用で力強いです。
今工事を手伝ってくれている人も子どもも泊まっている家のお父さんも屈強で驚く一方、私にそのような能力がほとんど無いことに人種として弱さを感じます。
日本の生活は身の回りに便利なものだらけで不自由することが余りありません。ゲームや携帯電話、家具家電、スイッチひとつで楽チン生活、電話ひとつでトラブル解消。
フィリピンではそんな便利な生活は難しいことこの上ないです。便利さが難しいから、その分自分たちで多くのことをしなければなりません。しかし自分たちの手で毎日いろいろやっていくことで、器用になり腕が太くなり屈強な人種になるんだと思います。
日本での21年の生活をふりかえって、自分が便利すぎる環境でぬくぬくと育っていったのを実感します。
話は少し変わりますが、工事とは関係なく今日テントを運んでいたら重かったのと雨で地面がぬかるんでいたのでテントの脚が足にぶつかり足首を切ってしまいました。血がだらだら出て傷口から白いなにかが見え痛かったですが、近くのおじちゃんの応急処置といっぱい人が集まってきたので思ったことがいくつかあります。
ぬくぬく育ってきた私はあっけなく怪我をしたこと
(きっと彼らは本能的に怪我なんかしないだろうな)
適切かどうかはさておき応急処置がすばやいこと
(怪我したって対処法を熟知している、怪我なんかよくある)
怪我、手当てを通してコミュニティの人とまたひとつ近づいたこと
(そこの人とどれだけ出来事を共有していきたい、迷惑をかけていきたい)
応急処置が思い切ってたこと
(応急処置にコーヒーの粉は傷口に正解なのか?)
毎日コミュニティに行っている内に、フィリピンの気質、人柄、習慣など習得できるように足を治してまたラントンを楽しみたいと思います。
2010年10月14日木曜日
パリンキの話 2010/10/12
パリンキとはタガログ語で市場という意味です。
ちなみにタガログ語とはフィリピンの国語と定められています。フィリピノ語ともいいますが、フィリピンにはそれ以外にも多くの言語があり地域、民族などにより使用する言葉が異なります。モロと呼ばれるイスラム圏の民族の中でも13もの言語があり、日々言語に悩まされています。
さてさて話を戻しますと、そのパリンキという場所は市場だけあって多くの店、買い物客、飲食店、トライシクル(バイクを三輪にして拡大した乗り物)が所狭しとびっしりと並んでいます。ジェネラルサントス市にある一番大きなパリンキには魚、肉、野菜、果物、調味料、服、携帯電話、薬、帽子、おもちゃ、DVDなどが安く売られ、夕方になると夕飯の食材を買いに買い物客でにぎわいます。
私もよくそこに行くのですが、そこにはいろんな人がいます。内側で商売する正規のお店、野外に許可無くお店を出すサイドベンダーといわれるお店、商品や氷、水を運ぶ労働者、学校に行けずビニール袋を売る子ども、許可の無いお店を監視するデモレーションチーム、パリンキから出てくる人を捕まえようとするドライバー、値段と品を見て買い物するおばちゃん・・・。私が大好きなラントンというコミュニティからも多くの人がお金を稼ぐためサイドベンダーでお店を出しています。
以前光栄にもお会い出来たフィリピン研究者のお方は以前そこで実際に自分のお店を出されていましたが、そのパリンキが私は好きです。パリンキという場所では人の営みを肌で感じられるからです。日本でいう八百屋さんのような雰囲気と必死に商売する熱意、方やのんびり商売をするお店。パリンキがきれいではないとのもポイントです。いらないものが削ぎ落とされ、必要最低限なものだけで商売が成立するその感覚はまさに人間の営みです。
素敵です。
ちなみにタガログ語とはフィリピンの国語と定められています。フィリピノ語ともいいますが、フィリピンにはそれ以外にも多くの言語があり地域、民族などにより使用する言葉が異なります。モロと呼ばれるイスラム圏の民族の中でも13もの言語があり、日々言語に悩まされています。
さてさて話を戻しますと、そのパリンキという場所は市場だけあって多くの店、買い物客、飲食店、トライシクル(バイクを三輪にして拡大した乗り物)が所狭しとびっしりと並んでいます。ジェネラルサントス市にある一番大きなパリンキには魚、肉、野菜、果物、調味料、服、携帯電話、薬、帽子、おもちゃ、DVDなどが安く売られ、夕方になると夕飯の食材を買いに買い物客でにぎわいます。
私もよくそこに行くのですが、そこにはいろんな人がいます。内側で商売する正規のお店、野外に許可無くお店を出すサイドベンダーといわれるお店、商品や氷、水を運ぶ労働者、学校に行けずビニール袋を売る子ども、許可の無いお店を監視するデモレーションチーム、パリンキから出てくる人を捕まえようとするドライバー、値段と品を見て買い物するおばちゃん・・・。私が大好きなラントンというコミュニティからも多くの人がお金を稼ぐためサイドベンダーでお店を出しています。
以前光栄にもお会い出来たフィリピン研究者のお方は以前そこで実際に自分のお店を出されていましたが、そのパリンキが私は好きです。パリンキという場所では人の営みを肌で感じられるからです。日本でいう八百屋さんのような雰囲気と必死に商売する熱意、方やのんびり商売をするお店。パリンキがきれいではないとのもポイントです。いらないものが削ぎ落とされ、必要最低限なものだけで商売が成立するその感覚はまさに人間の営みです。
素敵です。
2010年10月11日月曜日
Ustazさんの話
今日はUstazさんの話をします。彼は42歳で妻子もちです。
そんな彼の妻が7月のある日アテビンのところへ相談にやって来ました。何事かと思っていたら、Ustazさんに容疑がかかっている、とのことです。容疑は詳しくは分かりませんが、麻薬の所持と密売です。
実際ジェネラルサントス市では麻薬の所持・使用・密売は犯罪でどの程度であっても厳しい罰則があります。Abu Sayaff Groupというテロ組織がミンダナオに存在するので、そういった麻薬関係の犯罪は多いそうです(以前聞いた弁護士の話によると)。
そして、Ustazさんの容疑が晴れる様に人権活動家でもあるアテビンは何度か弁護士に相談へ行ったり、彼の裁判を出席したり、必要な書類を集めたりしました。そして9月の今日、午前中サランガ二洲のJustice & Peaceであった最後の事情聴取で見事無罪を勝ち取りました。彼は警官によってでっち上げられ、容疑者に挙げられたのです。29日間の牢屋生活を終え、手続きをし終わった後、無事に家族の元へ帰ることができます。
今日の聴取のため集まった家族・親戚たちはUstazさんの無実が証明され、「大きな問題が解決して幸せ!」と嬉しそうです。彼の妻も子どもに連絡し「アテビンありがとう」と感謝を伝えていました。
フィリピンではこうしたでっち上げの罪が多々あります。警官や軍が無実の人に罪を着せて検挙数を増やします。ここフィリピンでは警察が十分信用されるわけではなく、特にミンダナオでは警察や軍が多く駐留しているため、それによる被害・影響も大きいものになっています。人権を守るべき警察が人権を阻害するというのはおかしな話です。
今日は彼の釈放の日でした。午前中、裁判所で手続きをした後、サランガ二にある牢屋に行き再び手続きを済ませると無事Ustazさんは釈放されました。約一ヶ月の牢屋生活を終え、親族と話す彼はかなりの口数で牢の中にいた時と大分印象が異なりました。それほど嬉しいことなのだと思います。それと、彼の容疑は殺人未遂の誤りでした。
そんな彼の妻が7月のある日アテビンのところへ相談にやって来ました。何事かと思っていたら、Ustazさんに容疑がかかっている、とのことです。容疑は詳しくは分かりませんが、麻薬の所持と密売です。
実際ジェネラルサントス市では麻薬の所持・使用・密売は犯罪でどの程度であっても厳しい罰則があります。Abu Sayaff Groupというテロ組織がミンダナオに存在するので、そういった麻薬関係の犯罪は多いそうです(以前聞いた弁護士の話によると)。
そして、Ustazさんの容疑が晴れる様に人権活動家でもあるアテビンは何度か弁護士に相談へ行ったり、彼の裁判を出席したり、必要な書類を集めたりしました。そして9月の今日、午前中サランガ二洲のJustice & Peaceであった最後の事情聴取で見事無罪を勝ち取りました。彼は警官によってでっち上げられ、容疑者に挙げられたのです。29日間の牢屋生活を終え、手続きをし終わった後、無事に家族の元へ帰ることができます。
今日の聴取のため集まった家族・親戚たちはUstazさんの無実が証明され、「大きな問題が解決して幸せ!」と嬉しそうです。彼の妻も子どもに連絡し「アテビンありがとう」と感謝を伝えていました。
フィリピンではこうしたでっち上げの罪が多々あります。警官や軍が無実の人に罪を着せて検挙数を増やします。ここフィリピンでは警察が十分信用されるわけではなく、特にミンダナオでは警察や軍が多く駐留しているため、それによる被害・影響も大きいものになっています。人権を守るべき警察が人権を阻害するというのはおかしな話です。
今日は彼の釈放の日でした。午前中、裁判所で手続きをした後、サランガ二にある牢屋に行き再び手続きを済ませると無事Ustazさんは釈放されました。約一ヶ月の牢屋生活を終え、親族と話す彼はかなりの口数で牢の中にいた時と大分印象が異なりました。それほど嬉しいことなのだと思います。それと、彼の容疑は殺人未遂の誤りでした。
2010年10月5日火曜日
先住民の話 2010/09/22
フィリピン共和国ミンダナオ島にはルマドと称される先住民族のグループがいくつかあります。そのひとつのチボリ民族のコミュニティを9月中旬に始めて訪れました。
HANDSの真紀子さんとカトリック修道会へ行きそこでエドウィン神父とリコさんと合流して車で出発しました。カトリック修道会の敷地内にCMIP(catholic mission to indengerous people)という組織があり、HANDSはそこと長年協力して事業を行っています。
ジェンサンから車でサノーセのほうへ向かいそこから山を登り、出発から約2時間後着いたのがチボリのコミュニティ、タンダ村です。HANDSの事業で今年6月に水道が通され公共水汲み場ができました。水を使っている人の話を聞くと、昔は一日に数回水を汲みにコンテナを2つ3つ持ち、山を下って川で水汲みをしていたそうです。男性は農業の仕事があるので水汲みは女性や子どもの仕事でした。実際山を歩いてみて思うことは、ほんとに重労働であること。人が歩いてできた道ではなく水が流れていたところが道だと思ってしまうほど狭かったり急だったり・・・。私も歩いていて何回もこけました。そんな道を今回の水道建設まで何十年も通ってきたのは大変だったろうと心底思います。
現在は村に2つある水汲み場にたくさんの人が集まって自由に水を汲んでます。「空いた時間で他の家事をしています」「毎日洗濯や水浴びができるようになりました」など答えてくれました。村に水汲み場ができて、簡単に水が手に入るようになった便利さのほかに、近所の人が自然に集まって会話する機会も生まれたように思いました。
タンダ村から今度は別の村へ、徒歩で山を通って移動しました。到着までに1時間という道のりでしたが、着いてみると本当に数えられるほどの家しか立っていない村でした。山から見た景色は格別にきれいでしたがその村はほとんど市や町の人と交流がほとんどないように思います。その村はタンダ村と同じくチボリ族の村で人里はなれた山奥に住んでいます。水道事業もそこでありタンダと同じような効果を発揮しています。しかし、その村は他にも土地的に多くの問題を抱えていそうです。まだ世代は若いですが、日本でいう限界集落だと思います。
では、なぜ彼らはそこに住んでいるのでしょう?そこに住み始めたのはフィリピン政府がミンダナオに入植政策を行い始めた頃から。ミンダナオの資源や土地のために、フィリピン北部・中部から多くのクリスチャンが入植しました。それにより、もとより住んでいた先住民は土地を奪われ山奥へ追いやられました。
今では生活手段がそこにあったり、言葉が違っていたりと(民族ごとで違う言葉を話します。)なかなか町へでることも難しいようです。
今後その孤立した村(実際は孤立していないかもしれませんが)がどのような未来を切り開いていけるのか、心配になります。
HANDSの真紀子さんとカトリック修道会へ行きそこでエドウィン神父とリコさんと合流して車で出発しました。カトリック修道会の敷地内にCMIP(catholic mission to indengerous people)という組織があり、HANDSはそこと長年協力して事業を行っています。
ジェンサンから車でサノーセのほうへ向かいそこから山を登り、出発から約2時間後着いたのがチボリのコミュニティ、タンダ村です。HANDSの事業で今年6月に水道が通され公共水汲み場ができました。水を使っている人の話を聞くと、昔は一日に数回水を汲みにコンテナを2つ3つ持ち、山を下って川で水汲みをしていたそうです。男性は農業の仕事があるので水汲みは女性や子どもの仕事でした。実際山を歩いてみて思うことは、ほんとに重労働であること。人が歩いてできた道ではなく水が流れていたところが道だと思ってしまうほど狭かったり急だったり・・・。私も歩いていて何回もこけました。そんな道を今回の水道建設まで何十年も通ってきたのは大変だったろうと心底思います。
現在は村に2つある水汲み場にたくさんの人が集まって自由に水を汲んでます。「空いた時間で他の家事をしています」「毎日洗濯や水浴びができるようになりました」など答えてくれました。村に水汲み場ができて、簡単に水が手に入るようになった便利さのほかに、近所の人が自然に集まって会話する機会も生まれたように思いました。
タンダ村から今度は別の村へ、徒歩で山を通って移動しました。到着までに1時間という道のりでしたが、着いてみると本当に数えられるほどの家しか立っていない村でした。山から見た景色は格別にきれいでしたがその村はほとんど市や町の人と交流がほとんどないように思います。その村はタンダ村と同じくチボリ族の村で人里はなれた山奥に住んでいます。水道事業もそこでありタンダと同じような効果を発揮しています。しかし、その村は他にも土地的に多くの問題を抱えていそうです。まだ世代は若いですが、日本でいう限界集落だと思います。
では、なぜ彼らはそこに住んでいるのでしょう?そこに住み始めたのはフィリピン政府がミンダナオに入植政策を行い始めた頃から。ミンダナオの資源や土地のために、フィリピン北部・中部から多くのクリスチャンが入植しました。それにより、もとより住んでいた先住民は土地を奪われ山奥へ追いやられました。
今では生活手段がそこにあったり、言葉が違っていたりと(民族ごとで違う言葉を話します。)なかなか町へでることも難しいようです。
今後その孤立した村(実際は孤立していないかもしれませんが)がどのような未来を切り開いていけるのか、心配になります。
登録:
投稿 (Atom)