湯浅誠が語る、広がる貧困と結婚できない人の関係
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1447385&media_id=40
mixiでこんなニュースが見れたことに、mixiに対して「なかなかやるじゃないか」と見直した。
それはいいとして、上の記事の一部に
「30代になっても結婚できず親と暮らすことを強制される」、というような文章がある。
これに対して、個人的に意見すると、
そりゃ結婚して自分の家庭もてたらいいのかもしれんけど、
働き始めて勤務地が遠くて親とはなれて、結婚して家庭もって、
毎日忙しく働いて、実家にも帰ることが無くなって、
親との関係が疎遠になるよりはだいぶマシじゃないかな。
と思う。
親に頼ることってそんなに悪いことなのか?と最近思う。
人に頼ることや親に頼ることはよくないこと、、、
自立して自分で家族や生活を養っていくことは大切、、、
後者が大切なのは分かるけど、それは養っていくという条件をクリアしてる場合で、
養っていけない、生活できない場合は頼るのは当然じゃないかと。
それを嫌がること自体に疑問を感じる。
ーーーーーーー
今フィリピンにいるんで、どうしても比較してみてしまうけど、
フィリピンでは家族間、親戚間の関係が強い。その背景には、仕事が無い、収入が少ないため、親ないし親戚にお金や物など頼ることが多いことにあると思う。
でもこれは、相互的なもので、言い換えればお互い様、である。
そして、頼った後は何かしらの形でお返しをする。
もっと広げて言えば親や親戚だけじゃなく近所や他人にも頼ることがある。
(ここでもの頼るはどっちかって言うと頼む「たのむ」)
ex) 小銭が無い時に両替を頼む、タバコの火を貸してもらう など
日本人的感覚でいうと・・・うざい、自分でしろ(以前私が感じたこと
フィリピン的感覚で言うと・・・いいよー(気軽にokする
どうしても自立が厳しい、生活が苦しいことで、誰かを頼る。
頼らざるをえない、というよりは
頼ることが当たり前(少し大げさに言えば
もちろん甘えることと頼ることは違うけど
仕事を求めて遠出する人も最近は増えているが、でもまだコミュニティでは親戚とか兄妹とかご近所に住んでいるということが多い。日本はちょっと遠いかな。大学で家はなれる人や、大阪東京で就職する人は、なかなか実家に帰れないだろうし
もちろん田舎にいるおじいちゃんとかはフィリピン人みたいな感覚で、
都会に住むわりと裕福なフィリピン人は日本人みたいかもしれないけれど。
こんな感じの頼る頼られる関係が、フィリピンでは見られる。そしてその関係が、湯浅さんの記事にあった縁ある社会を形成する。
無縁社会と貧困問題は根っこの部分でつながっているらしいけど、フィリピンは貧困だから縁を作っていく。もちろん、日本の貧困問題とフィリピンの貧困問題は性質がだいぶ違う。勉強してないから分からんけど。
でも、今の日本はネットのニュース見る限り暗いニュースが多いなって思う。自殺やら殺人やら、就活やら経済やら、日本のプロパガンダもっと前向きになって欲しい笑
自殺やらいじめやら殺傷事件やら、たぶんいろんな背景があるんだと思うけど、今の日本の「無縁」と「貧困」が織り成す社会は、この先不安で一杯である。
法律や保護など制度的な面も大事だけど、個人個人の縁を大切にする、広げていく、頼ってみる、頼られる、ご近所さんにおすそ分けする、実家に帰ってみる、兄妹に連絡入れてみるなど、個人のネットワークを見直すことでだいぶ楽になるのかなと考える。
昔の日本にみたいな。今の日本は経済発展もういいんじゃない?疲れるだけでしょ。って社会に出てない若造が言ったらきっと社会の先輩に怒られる。
書きたいことはいっぱいあるけど、ひとまず日本に帰ったらいろんな人に会いに行こう。家族団らんで過ごしたいものです。
みなさんも年末年始に実家に帰った時、ゆっくりじっくり家族や両親との時間を過ごしてはどうでしょうか。
2010年12月23日木曜日
2010年12月20日月曜日
第三回人権サミット 2010/12/05
一泊二日でダバオに行き、3rd Human Right Summitに参加しました。
2日に行われたKARAPATANの総会で決まった役員とInpeaceのメンバーなどが参加し、6日1日で行われたサミットに参加しました。記録係でしたが、連れがいなく大規模だったためなかなか楽しいと言えるものではなかったです。
ミンダナオ中で今起きているグローバリゼーションが背景にある事件を先進国はもっと知らなければならないのではないか。そしてそのシステムに歯止めをかけることをしなければ、大きな恐怖が逆に世界を脅かすのではないかと考えたい。
サミットの前日にビショップっぽい人の話はなかなかためになったと思う。あのような話をどんどん積み重ねていけば「変わる」かもしれない。そして、ここまでExtrajudicial killing やExtrajudicial prisonerがいる中で、フィリピンの方針が変わらないということは本当に一部の人だけで政治が動いているのだと感じる。
何かに不満を感じている時、それを主張することをここの人たちはやっている。それが左派であっても、当然のことなのかもしれない。フィリピンでむやみやたらに活動家が殺される背景には、その当然のことが弾圧されるからであって、間違っても活動が間違っていると言うことは無い。そしてそれが時に暴力化した時、また大勢の共産主義者が殺されるのだろう。
人権が守られないこの社会が変わるには一体何が必要なのか、政治的殺人・囚人だけでなく、コミュニティや社会的地位が改善されること、貧困が解決されるにはどうすればいいのか。フィリピンの人でなく、日本人として考えて生きたい。
2日に行われたKARAPATANの総会で決まった役員とInpeaceのメンバーなどが参加し、6日1日で行われたサミットに参加しました。記録係でしたが、連れがいなく大規模だったためなかなか楽しいと言えるものではなかったです。
ミンダナオ中で今起きているグローバリゼーションが背景にある事件を先進国はもっと知らなければならないのではないか。そしてそのシステムに歯止めをかけることをしなければ、大きな恐怖が逆に世界を脅かすのではないかと考えたい。
サミットの前日にビショップっぽい人の話はなかなかためになったと思う。あのような話をどんどん積み重ねていけば「変わる」かもしれない。そして、ここまでExtrajudicial killing やExtrajudicial prisonerがいる中で、フィリピンの方針が変わらないということは本当に一部の人だけで政治が動いているのだと感じる。
何かに不満を感じている時、それを主張することをここの人たちはやっている。それが左派であっても、当然のことなのかもしれない。フィリピンでむやみやたらに活動家が殺される背景には、その当然のことが弾圧されるからであって、間違っても活動が間違っていると言うことは無い。そしてそれが時に暴力化した時、また大勢の共産主義者が殺されるのだろう。
人権が守られないこの社会が変わるには一体何が必要なのか、政治的殺人・囚人だけでなく、コミュニティや社会的地位が改善されること、貧困が解決されるにはどうすればいいのか。フィリピンの人でなく、日本人として考えて生きたい。
2010年11月10日水曜日
マギンダナオ大量虐殺
昨年11月23日にフィリピン南部ミンダナオ島マギンダナオ州アンパトゥアン町で起こった残劇な事件マギンダナオ大量虐殺からもうそろそろ一年が経ちます。
私が昨年初めてミンダナオに行く直前に起こった事件であり、当時この事件を知ってミンダナオに行くことが少し不安になったのを覚えています。
この事件は市民、ジャーナリスト、弁護士を含む58人の犠牲者を出した近年のフィリピンでも大規模な大量虐殺です。
事件の背景は国政選挙まで6ヶ月となった頃、この地域の州知事の椅子を争っての政治的権力者同士の抗争です。
州知事に立候補するための届出を提出する移動中に、アンパトゥアンJrの私兵によって襲撃された殺戮事件でした。
事件の起こったアンパトゥアン町の町長の息子であるアンパトゥアンJrが首謀者であり、彼は父親の後継として立候補する予定でした。
襲撃に備え届出を本人が行かず、親族やジャーナリストなどを代わりに行かせ対立陣営が手出しできないようにしていたにもかかわらず起こった事件でした。
しかし、その首謀者であるアンパトゥアンJrらは国政選挙3週間前に起訴を取り下げられており、罪を問われていません。(詳しくはアムネスティインターナショナル日本の記事参照: http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=792)
このような罪にならない事件が起こりうるのが今のフィリピン社会のようです。政治的抗争・暴力によって生活を失う人も数多くにのぼります。
そして58人の犠牲者を祈り、この政治的殺害が横暴する社会への怒りを主張し、二度とこのような残虐な事件が起こらないように一周年期の今月22,23日に追悼記念イベントがマギンダナオ州で行われます。
テーマは‘Rage against Impunity! Justice for All Victims of the Ampatuan Massacre and other Extrajudicial Killings! ’(刑事責任免除への怒り!アンパトゥアン大量虐殺と司法権の及ばない殺人の全ての犠牲者への正義!) です。
22日にジェネラルサントス市で追悼行進とキャンドルライティング、23日にマギンダナオで平和を祈っての追悼キャラバン、街頭演説といった内容でミンダナオ島からだけではなくフィリピン全土から多くの人が募ってきます。
今回この大規模な一周年追悼記念イベントを行うにあたり、私は日本の人にもこのような事件が世界で起こっていることを知ってもらいと思います。 そして、漠然としていますが、これを知って世界がちょっとでも良くなることを日々思って生活して欲しいです。
皆が毎日平和な世界を願ったら、世界はちょっとずつ平和になるのではないかと思います。
そして、このマギンダナオ大量虐殺から一年、このイベントを運営し成功させるため、ミンダナオ島の平和のため個人活動ですが寄付のご協力をお願いしたいと思います。一人500円など小額でもかまいません、気持ちだけでも十分です。
ご協力してくださる方がいれば連絡してください。方法を模索中です。
フィリピンが不当に人が殺されない国になることを願います。
私が昨年初めてミンダナオに行く直前に起こった事件であり、当時この事件を知ってミンダナオに行くことが少し不安になったのを覚えています。
この事件は市民、ジャーナリスト、弁護士を含む58人の犠牲者を出した近年のフィリピンでも大規模な大量虐殺です。
事件の背景は国政選挙まで6ヶ月となった頃、この地域の州知事の椅子を争っての政治的権力者同士の抗争です。
州知事に立候補するための届出を提出する移動中に、アンパトゥアンJrの私兵によって襲撃された殺戮事件でした。
事件の起こったアンパトゥアン町の町長の息子であるアンパトゥアンJrが首謀者であり、彼は父親の後継として立候補する予定でした。
襲撃に備え届出を本人が行かず、親族やジャーナリストなどを代わりに行かせ対立陣営が手出しできないようにしていたにもかかわらず起こった事件でした。
しかし、その首謀者であるアンパトゥアンJrらは国政選挙3週間前に起訴を取り下げられており、罪を問われていません。(詳しくはアムネスティインターナショナル日本の記事参照: http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=792)
このような罪にならない事件が起こりうるのが今のフィリピン社会のようです。政治的抗争・暴力によって生活を失う人も数多くにのぼります。
そして58人の犠牲者を祈り、この政治的殺害が横暴する社会への怒りを主張し、二度とこのような残虐な事件が起こらないように一周年期の今月22,23日に追悼記念イベントがマギンダナオ州で行われます。
テーマは‘Rage against Impunity! Justice for All Victims of the Ampatuan Massacre and other Extrajudicial Killings! ’(刑事責任免除への怒り!アンパトゥアン大量虐殺と司法権の及ばない殺人の全ての犠牲者への正義!) です。
22日にジェネラルサントス市で追悼行進とキャンドルライティング、23日にマギンダナオで平和を祈っての追悼キャラバン、街頭演説といった内容でミンダナオ島からだけではなくフィリピン全土から多くの人が募ってきます。
今回この大規模な一周年追悼記念イベントを行うにあたり、私は日本の人にもこのような事件が世界で起こっていることを知ってもらいと思います。 そして、漠然としていますが、これを知って世界がちょっとでも良くなることを日々思って生活して欲しいです。
皆が毎日平和な世界を願ったら、世界はちょっとずつ平和になるのではないかと思います。
そして、このマギンダナオ大量虐殺から一年、このイベントを運営し成功させるため、ミンダナオ島の平和のため個人活動ですが寄付のご協力をお願いしたいと思います。一人500円など小額でもかまいません、気持ちだけでも十分です。
ご協力してくださる方がいれば連絡してください。方法を模索中です。
フィリピンが不当に人が殺されない国になることを願います。
2010年11月4日木曜日
日本人とフィリピン人
最近はラントンというコミュニティに毎日通っています。そこにはモロ女性センターが運営している小さなデイケア(幼稚園)があって、現在その拡張工事中でお手伝いをさせてもらっています。
単純に水運んだりセメント運んだりといった簡単なことしかしていませんが、毎日ラントンの人と話したり遊んだりしています。1~2歳くらいの子から好かれたり、15歳くらいの男の子と下ネタの話したり(あっちから勝手に話を振ってきます)大人たちと仕事がないないと話したりしています。
そしてその中で考えるのが私とフィリピン人の違いです。私=日本人一般ではないですが、私の経験から日本人とフィリピン人の習慣の違いを見てみたいと思います。
それとフィリピン人としているのはコミュニティの人としたほうが当てはまると思います。
彼らは子どもの時からたくましいです。家事を手伝います。外で遊びます。生活をするために仕事の手伝い、もしくは仕事をします。勉強はとりあえずおいときます。
そんな生活を毎日していく内に、特に男の子は重いものを運んだり木を切ったりココナッツの木に登ったり飛んだりはねたりしながら、筋肉がついていき習慣的にものすごく器用で力強いです。
今工事を手伝ってくれている人も子どもも泊まっている家のお父さんも屈強で驚く一方、私にそのような能力がほとんど無いことに人種として弱さを感じます。
日本の生活は身の回りに便利なものだらけで不自由することが余りありません。ゲームや携帯電話、家具家電、スイッチひとつで楽チン生活、電話ひとつでトラブル解消。
フィリピンではそんな便利な生活は難しいことこの上ないです。便利さが難しいから、その分自分たちで多くのことをしなければなりません。しかし自分たちの手で毎日いろいろやっていくことで、器用になり腕が太くなり屈強な人種になるんだと思います。
日本での21年の生活をふりかえって、自分が便利すぎる環境でぬくぬくと育っていったのを実感します。
話は少し変わりますが、工事とは関係なく今日テントを運んでいたら重かったのと雨で地面がぬかるんでいたのでテントの脚が足にぶつかり足首を切ってしまいました。血がだらだら出て傷口から白いなにかが見え痛かったですが、近くのおじちゃんの応急処置といっぱい人が集まってきたので思ったことがいくつかあります。
ぬくぬく育ってきた私はあっけなく怪我をしたこと
(きっと彼らは本能的に怪我なんかしないだろうな)
適切かどうかはさておき応急処置がすばやいこと
(怪我したって対処法を熟知している、怪我なんかよくある)
怪我、手当てを通してコミュニティの人とまたひとつ近づいたこと
(そこの人とどれだけ出来事を共有していきたい、迷惑をかけていきたい)
応急処置が思い切ってたこと
(応急処置にコーヒーの粉は傷口に正解なのか?)
毎日コミュニティに行っている内に、フィリピンの気質、人柄、習慣など習得できるように足を治してまたラントンを楽しみたいと思います。
単純に水運んだりセメント運んだりといった簡単なことしかしていませんが、毎日ラントンの人と話したり遊んだりしています。1~2歳くらいの子から好かれたり、15歳くらいの男の子と下ネタの話したり(あっちから勝手に話を振ってきます)大人たちと仕事がないないと話したりしています。
そしてその中で考えるのが私とフィリピン人の違いです。私=日本人一般ではないですが、私の経験から日本人とフィリピン人の習慣の違いを見てみたいと思います。
それとフィリピン人としているのはコミュニティの人としたほうが当てはまると思います。
彼らは子どもの時からたくましいです。家事を手伝います。外で遊びます。生活をするために仕事の手伝い、もしくは仕事をします。勉強はとりあえずおいときます。
そんな生活を毎日していく内に、特に男の子は重いものを運んだり木を切ったりココナッツの木に登ったり飛んだりはねたりしながら、筋肉がついていき習慣的にものすごく器用で力強いです。
今工事を手伝ってくれている人も子どもも泊まっている家のお父さんも屈強で驚く一方、私にそのような能力がほとんど無いことに人種として弱さを感じます。
日本の生活は身の回りに便利なものだらけで不自由することが余りありません。ゲームや携帯電話、家具家電、スイッチひとつで楽チン生活、電話ひとつでトラブル解消。
フィリピンではそんな便利な生活は難しいことこの上ないです。便利さが難しいから、その分自分たちで多くのことをしなければなりません。しかし自分たちの手で毎日いろいろやっていくことで、器用になり腕が太くなり屈強な人種になるんだと思います。
日本での21年の生活をふりかえって、自分が便利すぎる環境でぬくぬくと育っていったのを実感します。
話は少し変わりますが、工事とは関係なく今日テントを運んでいたら重かったのと雨で地面がぬかるんでいたのでテントの脚が足にぶつかり足首を切ってしまいました。血がだらだら出て傷口から白いなにかが見え痛かったですが、近くのおじちゃんの応急処置といっぱい人が集まってきたので思ったことがいくつかあります。
ぬくぬく育ってきた私はあっけなく怪我をしたこと
(きっと彼らは本能的に怪我なんかしないだろうな)
適切かどうかはさておき応急処置がすばやいこと
(怪我したって対処法を熟知している、怪我なんかよくある)
怪我、手当てを通してコミュニティの人とまたひとつ近づいたこと
(そこの人とどれだけ出来事を共有していきたい、迷惑をかけていきたい)
応急処置が思い切ってたこと
(応急処置にコーヒーの粉は傷口に正解なのか?)
毎日コミュニティに行っている内に、フィリピンの気質、人柄、習慣など習得できるように足を治してまたラントンを楽しみたいと思います。
2010年10月14日木曜日
パリンキの話 2010/10/12
パリンキとはタガログ語で市場という意味です。
ちなみにタガログ語とはフィリピンの国語と定められています。フィリピノ語ともいいますが、フィリピンにはそれ以外にも多くの言語があり地域、民族などにより使用する言葉が異なります。モロと呼ばれるイスラム圏の民族の中でも13もの言語があり、日々言語に悩まされています。
さてさて話を戻しますと、そのパリンキという場所は市場だけあって多くの店、買い物客、飲食店、トライシクル(バイクを三輪にして拡大した乗り物)が所狭しとびっしりと並んでいます。ジェネラルサントス市にある一番大きなパリンキには魚、肉、野菜、果物、調味料、服、携帯電話、薬、帽子、おもちゃ、DVDなどが安く売られ、夕方になると夕飯の食材を買いに買い物客でにぎわいます。
私もよくそこに行くのですが、そこにはいろんな人がいます。内側で商売する正規のお店、野外に許可無くお店を出すサイドベンダーといわれるお店、商品や氷、水を運ぶ労働者、学校に行けずビニール袋を売る子ども、許可の無いお店を監視するデモレーションチーム、パリンキから出てくる人を捕まえようとするドライバー、値段と品を見て買い物するおばちゃん・・・。私が大好きなラントンというコミュニティからも多くの人がお金を稼ぐためサイドベンダーでお店を出しています。
以前光栄にもお会い出来たフィリピン研究者のお方は以前そこで実際に自分のお店を出されていましたが、そのパリンキが私は好きです。パリンキという場所では人の営みを肌で感じられるからです。日本でいう八百屋さんのような雰囲気と必死に商売する熱意、方やのんびり商売をするお店。パリンキがきれいではないとのもポイントです。いらないものが削ぎ落とされ、必要最低限なものだけで商売が成立するその感覚はまさに人間の営みです。
素敵です。
ちなみにタガログ語とはフィリピンの国語と定められています。フィリピノ語ともいいますが、フィリピンにはそれ以外にも多くの言語があり地域、民族などにより使用する言葉が異なります。モロと呼ばれるイスラム圏の民族の中でも13もの言語があり、日々言語に悩まされています。
さてさて話を戻しますと、そのパリンキという場所は市場だけあって多くの店、買い物客、飲食店、トライシクル(バイクを三輪にして拡大した乗り物)が所狭しとびっしりと並んでいます。ジェネラルサントス市にある一番大きなパリンキには魚、肉、野菜、果物、調味料、服、携帯電話、薬、帽子、おもちゃ、DVDなどが安く売られ、夕方になると夕飯の食材を買いに買い物客でにぎわいます。
私もよくそこに行くのですが、そこにはいろんな人がいます。内側で商売する正規のお店、野外に許可無くお店を出すサイドベンダーといわれるお店、商品や氷、水を運ぶ労働者、学校に行けずビニール袋を売る子ども、許可の無いお店を監視するデモレーションチーム、パリンキから出てくる人を捕まえようとするドライバー、値段と品を見て買い物するおばちゃん・・・。私が大好きなラントンというコミュニティからも多くの人がお金を稼ぐためサイドベンダーでお店を出しています。
以前光栄にもお会い出来たフィリピン研究者のお方は以前そこで実際に自分のお店を出されていましたが、そのパリンキが私は好きです。パリンキという場所では人の営みを肌で感じられるからです。日本でいう八百屋さんのような雰囲気と必死に商売する熱意、方やのんびり商売をするお店。パリンキがきれいではないとのもポイントです。いらないものが削ぎ落とされ、必要最低限なものだけで商売が成立するその感覚はまさに人間の営みです。
素敵です。
2010年10月11日月曜日
Ustazさんの話
今日はUstazさんの話をします。彼は42歳で妻子もちです。
そんな彼の妻が7月のある日アテビンのところへ相談にやって来ました。何事かと思っていたら、Ustazさんに容疑がかかっている、とのことです。容疑は詳しくは分かりませんが、麻薬の所持と密売です。
実際ジェネラルサントス市では麻薬の所持・使用・密売は犯罪でどの程度であっても厳しい罰則があります。Abu Sayaff Groupというテロ組織がミンダナオに存在するので、そういった麻薬関係の犯罪は多いそうです(以前聞いた弁護士の話によると)。
そして、Ustazさんの容疑が晴れる様に人権活動家でもあるアテビンは何度か弁護士に相談へ行ったり、彼の裁判を出席したり、必要な書類を集めたりしました。そして9月の今日、午前中サランガ二洲のJustice & Peaceであった最後の事情聴取で見事無罪を勝ち取りました。彼は警官によってでっち上げられ、容疑者に挙げられたのです。29日間の牢屋生活を終え、手続きをし終わった後、無事に家族の元へ帰ることができます。
今日の聴取のため集まった家族・親戚たちはUstazさんの無実が証明され、「大きな問題が解決して幸せ!」と嬉しそうです。彼の妻も子どもに連絡し「アテビンありがとう」と感謝を伝えていました。
フィリピンではこうしたでっち上げの罪が多々あります。警官や軍が無実の人に罪を着せて検挙数を増やします。ここフィリピンでは警察が十分信用されるわけではなく、特にミンダナオでは警察や軍が多く駐留しているため、それによる被害・影響も大きいものになっています。人権を守るべき警察が人権を阻害するというのはおかしな話です。
今日は彼の釈放の日でした。午前中、裁判所で手続きをした後、サランガ二にある牢屋に行き再び手続きを済ませると無事Ustazさんは釈放されました。約一ヶ月の牢屋生活を終え、親族と話す彼はかなりの口数で牢の中にいた時と大分印象が異なりました。それほど嬉しいことなのだと思います。それと、彼の容疑は殺人未遂の誤りでした。
そんな彼の妻が7月のある日アテビンのところへ相談にやって来ました。何事かと思っていたら、Ustazさんに容疑がかかっている、とのことです。容疑は詳しくは分かりませんが、麻薬の所持と密売です。
実際ジェネラルサントス市では麻薬の所持・使用・密売は犯罪でどの程度であっても厳しい罰則があります。Abu Sayaff Groupというテロ組織がミンダナオに存在するので、そういった麻薬関係の犯罪は多いそうです(以前聞いた弁護士の話によると)。
そして、Ustazさんの容疑が晴れる様に人権活動家でもあるアテビンは何度か弁護士に相談へ行ったり、彼の裁判を出席したり、必要な書類を集めたりしました。そして9月の今日、午前中サランガ二洲のJustice & Peaceであった最後の事情聴取で見事無罪を勝ち取りました。彼は警官によってでっち上げられ、容疑者に挙げられたのです。29日間の牢屋生活を終え、手続きをし終わった後、無事に家族の元へ帰ることができます。
今日の聴取のため集まった家族・親戚たちはUstazさんの無実が証明され、「大きな問題が解決して幸せ!」と嬉しそうです。彼の妻も子どもに連絡し「アテビンありがとう」と感謝を伝えていました。
フィリピンではこうしたでっち上げの罪が多々あります。警官や軍が無実の人に罪を着せて検挙数を増やします。ここフィリピンでは警察が十分信用されるわけではなく、特にミンダナオでは警察や軍が多く駐留しているため、それによる被害・影響も大きいものになっています。人権を守るべき警察が人権を阻害するというのはおかしな話です。
今日は彼の釈放の日でした。午前中、裁判所で手続きをした後、サランガ二にある牢屋に行き再び手続きを済ませると無事Ustazさんは釈放されました。約一ヶ月の牢屋生活を終え、親族と話す彼はかなりの口数で牢の中にいた時と大分印象が異なりました。それほど嬉しいことなのだと思います。それと、彼の容疑は殺人未遂の誤りでした。
2010年10月5日火曜日
先住民の話 2010/09/22
フィリピン共和国ミンダナオ島にはルマドと称される先住民族のグループがいくつかあります。そのひとつのチボリ民族のコミュニティを9月中旬に始めて訪れました。
HANDSの真紀子さんとカトリック修道会へ行きそこでエドウィン神父とリコさんと合流して車で出発しました。カトリック修道会の敷地内にCMIP(catholic mission to indengerous people)という組織があり、HANDSはそこと長年協力して事業を行っています。
ジェンサンから車でサノーセのほうへ向かいそこから山を登り、出発から約2時間後着いたのがチボリのコミュニティ、タンダ村です。HANDSの事業で今年6月に水道が通され公共水汲み場ができました。水を使っている人の話を聞くと、昔は一日に数回水を汲みにコンテナを2つ3つ持ち、山を下って川で水汲みをしていたそうです。男性は農業の仕事があるので水汲みは女性や子どもの仕事でした。実際山を歩いてみて思うことは、ほんとに重労働であること。人が歩いてできた道ではなく水が流れていたところが道だと思ってしまうほど狭かったり急だったり・・・。私も歩いていて何回もこけました。そんな道を今回の水道建設まで何十年も通ってきたのは大変だったろうと心底思います。
現在は村に2つある水汲み場にたくさんの人が集まって自由に水を汲んでます。「空いた時間で他の家事をしています」「毎日洗濯や水浴びができるようになりました」など答えてくれました。村に水汲み場ができて、簡単に水が手に入るようになった便利さのほかに、近所の人が自然に集まって会話する機会も生まれたように思いました。
タンダ村から今度は別の村へ、徒歩で山を通って移動しました。到着までに1時間という道のりでしたが、着いてみると本当に数えられるほどの家しか立っていない村でした。山から見た景色は格別にきれいでしたがその村はほとんど市や町の人と交流がほとんどないように思います。その村はタンダ村と同じくチボリ族の村で人里はなれた山奥に住んでいます。水道事業もそこでありタンダと同じような効果を発揮しています。しかし、その村は他にも土地的に多くの問題を抱えていそうです。まだ世代は若いですが、日本でいう限界集落だと思います。
では、なぜ彼らはそこに住んでいるのでしょう?そこに住み始めたのはフィリピン政府がミンダナオに入植政策を行い始めた頃から。ミンダナオの資源や土地のために、フィリピン北部・中部から多くのクリスチャンが入植しました。それにより、もとより住んでいた先住民は土地を奪われ山奥へ追いやられました。
今では生活手段がそこにあったり、言葉が違っていたりと(民族ごとで違う言葉を話します。)なかなか町へでることも難しいようです。
今後その孤立した村(実際は孤立していないかもしれませんが)がどのような未来を切り開いていけるのか、心配になります。
HANDSの真紀子さんとカトリック修道会へ行きそこでエドウィン神父とリコさんと合流して車で出発しました。カトリック修道会の敷地内にCMIP(catholic mission to indengerous people)という組織があり、HANDSはそこと長年協力して事業を行っています。
ジェンサンから車でサノーセのほうへ向かいそこから山を登り、出発から約2時間後着いたのがチボリのコミュニティ、タンダ村です。HANDSの事業で今年6月に水道が通され公共水汲み場ができました。水を使っている人の話を聞くと、昔は一日に数回水を汲みにコンテナを2つ3つ持ち、山を下って川で水汲みをしていたそうです。男性は農業の仕事があるので水汲みは女性や子どもの仕事でした。実際山を歩いてみて思うことは、ほんとに重労働であること。人が歩いてできた道ではなく水が流れていたところが道だと思ってしまうほど狭かったり急だったり・・・。私も歩いていて何回もこけました。そんな道を今回の水道建設まで何十年も通ってきたのは大変だったろうと心底思います。
現在は村に2つある水汲み場にたくさんの人が集まって自由に水を汲んでます。「空いた時間で他の家事をしています」「毎日洗濯や水浴びができるようになりました」など答えてくれました。村に水汲み場ができて、簡単に水が手に入るようになった便利さのほかに、近所の人が自然に集まって会話する機会も生まれたように思いました。
タンダ村から今度は別の村へ、徒歩で山を通って移動しました。到着までに1時間という道のりでしたが、着いてみると本当に数えられるほどの家しか立っていない村でした。山から見た景色は格別にきれいでしたがその村はほとんど市や町の人と交流がほとんどないように思います。その村はタンダ村と同じくチボリ族の村で人里はなれた山奥に住んでいます。水道事業もそこでありタンダと同じような効果を発揮しています。しかし、その村は他にも土地的に多くの問題を抱えていそうです。まだ世代は若いですが、日本でいう限界集落だと思います。
では、なぜ彼らはそこに住んでいるのでしょう?そこに住み始めたのはフィリピン政府がミンダナオに入植政策を行い始めた頃から。ミンダナオの資源や土地のために、フィリピン北部・中部から多くのクリスチャンが入植しました。それにより、もとより住んでいた先住民は土地を奪われ山奥へ追いやられました。
今では生活手段がそこにあったり、言葉が違っていたりと(民族ごとで違う言葉を話します。)なかなか町へでることも難しいようです。
今後その孤立した村(実際は孤立していないかもしれませんが)がどのような未来を切り開いていけるのか、心配になります。
2010年9月30日木曜日
デモレーションの話 2010/09/22
今日夕方のミュースで、マニラで撤去チームと住民が争っている映像が流れました。
そのニュースによると、公有地を誰かが買い取ったため私有地になりそこに住んでいた9000世帯の人(37ヘクタール)が撤去を強いられました。
撤去チームは金槌をもってトタン屋根を壊していきます。
家具を道路に投げます。
それに対し住民は石を投げて抵抗します。
結局、破壊された家はありますが抵抗が激しいため途中で切り上げて撤去チームは帰っていきました。住むところがなくなった人たちは道路に寝そべり、交通渋滞を起こします。
一度でもマニラに来た人は感じると思いますが、マニラは格差が非常に激しいところです。高層ビルの隣にストリートチルドレンがいます。
貧しい人たちは小さな家を密集させて生活しています。そんな人たちに何の保証もなくただ撤去を強いることは、フィリピンの首都でさえ政府又は企業からの立ち退き支援が十分ではないと言えます。
マニラでもあるんだ、マニラだからか?と思ったニュースでした。
そのニュースによると、公有地を誰かが買い取ったため私有地になりそこに住んでいた9000世帯の人(37ヘクタール)が撤去を強いられました。
撤去チームは金槌をもってトタン屋根を壊していきます。
家具を道路に投げます。
それに対し住民は石を投げて抵抗します。
結局、破壊された家はありますが抵抗が激しいため途中で切り上げて撤去チームは帰っていきました。住むところがなくなった人たちは道路に寝そべり、交通渋滞を起こします。
一度でもマニラに来た人は感じると思いますが、マニラは格差が非常に激しいところです。高層ビルの隣にストリートチルドレンがいます。
貧しい人たちは小さな家を密集させて生活しています。そんな人たちに何の保証もなくただ撤去を強いることは、フィリピンの首都でさえ政府又は企業からの立ち退き支援が十分ではないと言えます。
マニラでもあるんだ、マニラだからか?と思ったニュースでした。
2010年9月22日水曜日
paineapple
こんにちは、みんなと別れてまたこっちの生活に戻ったたかです。
夜ふと目を覚ますとN氏足の毛をそられていた楽しかった日々から一変、今は風邪を引いてのどがすごい痛いです。
ところで皆さんパイナップルって知ってますか。
今日は私の大好きなパイナップルの日記を書きます。
パイナップルはここミンダナオのプロモロックという場所に大きなプランテーションがあります。そこのプランテーションはドールフィリピンによって管理、運営されてますが、最近そこだけではなく、先住民の人たちが住む山奥にまでプランテーションを拡大しています。地主から1ヘクタール4万ペソで5年間借りています。日本円にして8万くらいです。
そのプランテーションは山の斜面沿いにずーっと続いているのですが、そこは以前先住民がとうもろこしを生産していたであろう土地です。
パイナップルの話をします。パイナップルは生長するのに実はすごい栄養を必要とします。そしてドールは肥料と殺虫剤をかなり使用することで有名です。ちなみにパイナップルは収穫までに1年半かかります。5年間で3回収穫があるわけですが、5年後その土壌はまだ栄養が残っているのでしょうか。疑問です。
収穫後、パイナップルは運ばれ洗剤のプールの中を通ってカットされ缶詰に入れられ輸出されるわけです。そんなパイナップルは私はそれでも好きです。
でも今度からは宮崎産のパイナップル(缶詰じゃないやつ)を食べようと思います。缶詰よりかなり新鮮で味も美味しいのでみんなで宮崎に貢献しよう!!笑
Ps: こないだ初めて先住民の住むところを訪れました。非常に山奥で歩いてしかいけず大変貴重な体験をしました。
夜ふと目を覚ますとN氏足の毛をそられていた楽しかった日々から一変、今は風邪を引いてのどがすごい痛いです。
ところで皆さんパイナップルって知ってますか。
今日は私の大好きなパイナップルの日記を書きます。
パイナップルはここミンダナオのプロモロックという場所に大きなプランテーションがあります。そこのプランテーションはドールフィリピンによって管理、運営されてますが、最近そこだけではなく、先住民の人たちが住む山奥にまでプランテーションを拡大しています。地主から1ヘクタール4万ペソで5年間借りています。日本円にして8万くらいです。
そのプランテーションは山の斜面沿いにずーっと続いているのですが、そこは以前先住民がとうもろこしを生産していたであろう土地です。
パイナップルの話をします。パイナップルは生長するのに実はすごい栄養を必要とします。そしてドールは肥料と殺虫剤をかなり使用することで有名です。ちなみにパイナップルは収穫までに1年半かかります。5年間で3回収穫があるわけですが、5年後その土壌はまだ栄養が残っているのでしょうか。疑問です。
収穫後、パイナップルは運ばれ洗剤のプールの中を通ってカットされ缶詰に入れられ輸出されるわけです。そんなパイナップルは私はそれでも好きです。
でも今度からは宮崎産のパイナップル(缶詰じゃないやつ)を食べようと思います。缶詰よりかなり新鮮で味も美味しいのでみんなで宮崎に貢献しよう!!笑
Ps: こないだ初めて先住民の住むところを訪れました。非常に山奥で歩いてしかいけず大変貴重な体験をしました。
2010年9月21日火曜日
Duyog Ramadhan
General Santos City- At least 110 delegates from various religious organizations
joined the annual ‘Duyog Ramadhan’ here at the Brokenshire College spearheaded
by the Moro Women Inc.,.
Duyog Ramadhan is a gathering of different religious groups in the city in
solidarity with the Muslim world in the observance of the holy month of
Ramadhan.
Ramadhan is the ninth month in the Islamic lunar calendar where Muslims, as an
act of worship to Allah, fast during the day - refraining from food and drink
and sexual activity from dawn till sunset. It is intended to foster important
values among Muslims such as patience, humility, and deep spirituality. Muslims
offer more prayers than usual during this month to ask forgiveness for past
sins, seek guidance and help in confronting from everyday evils, and aspire to
purify themselves through self-restraint and good deeds.
According to Abina Rombaoa of Moro Women, the gathering aimed to strengthen
solidarity among peoples in Mindanao as means to breaking all religious barriers
with the perspective of attaining justice and lasting peace in the south
concertedly.
With the theme ‘We join hands; we are one in prayer, We are one in the struggles
for genuine justice and lasting peace’, the whole day interfaith forum tackled
the wisdom of Ramadhan and social issues on Power Rate Hike, The Implications of
Coal Fire Power Plant, and National and Moro Situations.
Among which transpired from the discussions are the group’s challenges and their
dexterity to assert genuine land reforms, justice and peace to Aquino
administration, also, denouncing the presence of US troops in Mindanao, which
the Moro people believe to obscure and hinder peace in Mindanao.
The said Moro sentiments got affirmative nods from audience coming from the
United Church of Christ in the Phils. (UCCP), Iglesia Filipina Independiente
(IFI) and the Roman Catholic Church. Moro groups present were Suara
Bangsamoro, Moro Women Inc., Liga ng Kabataang Moro, Kawagib Moro Human Rights
and Ustadz and EMAM’s groups.##
joined the annual ‘Duyog Ramadhan’ here at the Brokenshire College spearheaded
by the Moro Women Inc.,.
Duyog Ramadhan is a gathering of different religious groups in the city in
solidarity with the Muslim world in the observance of the holy month of
Ramadhan.
Ramadhan is the ninth month in the Islamic lunar calendar where Muslims, as an
act of worship to Allah, fast during the day - refraining from food and drink
and sexual activity from dawn till sunset. It is intended to foster important
values among Muslims such as patience, humility, and deep spirituality. Muslims
offer more prayers than usual during this month to ask forgiveness for past
sins, seek guidance and help in confronting from everyday evils, and aspire to
purify themselves through self-restraint and good deeds.
According to Abina Rombaoa of Moro Women, the gathering aimed to strengthen
solidarity among peoples in Mindanao as means to breaking all religious barriers
with the perspective of attaining justice and lasting peace in the south
concertedly.
With the theme ‘We join hands; we are one in prayer, We are one in the struggles
for genuine justice and lasting peace’, the whole day interfaith forum tackled
the wisdom of Ramadhan and social issues on Power Rate Hike, The Implications of
Coal Fire Power Plant, and National and Moro Situations.
Among which transpired from the discussions are the group’s challenges and their
dexterity to assert genuine land reforms, justice and peace to Aquino
administration, also, denouncing the presence of US troops in Mindanao, which
the Moro people believe to obscure and hinder peace in Mindanao.
The said Moro sentiments got affirmative nods from audience coming from the
United Church of Christ in the Phils. (UCCP), Iglesia Filipina Independiente
(IFI) and the Roman Catholic Church. Moro groups present were Suara
Bangsamoro, Moro Women Inc., Liga ng Kabataang Moro, Kawagib Moro Human Rights
and Ustadz and EMAM’s groups.##
2010年8月24日火曜日
Duyog Ramadhan 2010
こんにちは!!takaです。ここミンダナオのイスラムの人は今断食中です。朝3時に朝ごはんを食べ、夕方6時まで飲食禁止です。
・・・私は3日だけ成功しました。朝早く起きれたら挑戦するんですが、なかなか3時に起きれません。
みなさん、Dayog Ramadhanって知ってますか?
Duyog Ramadhanとはラマダーン(イスラム暦の月の名前)中にこの断食の月をお祝いしよう、というイベントであり、私がお世話になっているモロ女性センターが毎年主催するイベントです。知ってたら驚きです。
目的はミンダナオにいる3つのグループ、クリスチャンとモロ(フィリピンのイスラムの総称)、そして原住民のルマドの結束・団結とミンダナオの平和と紛争の共通の理解の構築です。
ミンダナオでは今も紛争が絶えません。ここジェネラルサントス市はまだ安全ですが北コタバト市やマギンダナオ州は多くの避難民や犠牲者が出ています。土地をめぐり国軍と住民の間で紛争が起こっています。
・・・まだ私にきちんと説明できる実力がないので詳しくはのちのち。今日はそのDuyog Ramadhanの報告をします。
今年は8月21日に大学の部屋をお借りして開催されました。参加者は107人、老若男女、宗教問わず遠くから多くの人が参加してくれました。
午前中はラマダーン、石炭火力発電所の建設についての説明。
午後は5月から新大統領になったアキノ氏の政治、電気代の高騰、モロの状況についての説明。
宗教や民族は違ってもミンダナオの抱える問題は同じで、大切なことは、宗教、民族の壁を越えて団結すること。そして、戦っていくこと・訴えていくことだ思います。
この日の内容もすばらしかったと思いますが、私にとっては準備からとても楽しく、少しだけ役立つことができたので嬉しかった。LKM(モロユース組織)とイスラムの伝統お菓子一緒に作ったり、パソコンで垂れ幕作ったり、いろんな人と話したり・・・。
当日話を聞いていると気分が高まり、(言葉がタガログかビサヤ語なのできちんと理解はできてませんが・・・)質問しようかと思うくらい私にとってもいいフォーラムだったなと思います。
話は変わりますが、
今私がこっちですべきことは、スポンジみたいにいろんなことを吸収すること。
そして、可能性をちょっとでも大きくすること。
まだまだ21歳の子ども?ですが、4ヶ月が経つミンダナオの生活を毎日、楽しんで、考えさせられて、言葉に苦労して、コミュニティ行って、たまに裁判観察して、ネットでワンピース見て、断食して、イライラする中で、私はフィリピン人っぽく気ままに頑張ってます!!
・・・私は3日だけ成功しました。朝早く起きれたら挑戦するんですが、なかなか3時に起きれません。
みなさん、Dayog Ramadhanって知ってますか?
Duyog Ramadhanとはラマダーン(イスラム暦の月の名前)中にこの断食の月をお祝いしよう、というイベントであり、私がお世話になっているモロ女性センターが毎年主催するイベントです。知ってたら驚きです。
目的はミンダナオにいる3つのグループ、クリスチャンとモロ(フィリピンのイスラムの総称)、そして原住民のルマドの結束・団結とミンダナオの平和と紛争の共通の理解の構築です。
ミンダナオでは今も紛争が絶えません。ここジェネラルサントス市はまだ安全ですが北コタバト市やマギンダナオ州は多くの避難民や犠牲者が出ています。土地をめぐり国軍と住民の間で紛争が起こっています。
・・・まだ私にきちんと説明できる実力がないので詳しくはのちのち。今日はそのDuyog Ramadhanの報告をします。
今年は8月21日に大学の部屋をお借りして開催されました。参加者は107人、老若男女、宗教問わず遠くから多くの人が参加してくれました。
午前中はラマダーン、石炭火力発電所の建設についての説明。
午後は5月から新大統領になったアキノ氏の政治、電気代の高騰、モロの状況についての説明。
宗教や民族は違ってもミンダナオの抱える問題は同じで、大切なことは、宗教、民族の壁を越えて団結すること。そして、戦っていくこと・訴えていくことだ思います。
この日の内容もすばらしかったと思いますが、私にとっては準備からとても楽しく、少しだけ役立つことができたので嬉しかった。LKM(モロユース組織)とイスラムの伝統お菓子一緒に作ったり、パソコンで垂れ幕作ったり、いろんな人と話したり・・・。
当日話を聞いていると気分が高まり、(言葉がタガログかビサヤ語なのできちんと理解はできてませんが・・・)質問しようかと思うくらい私にとってもいいフォーラムだったなと思います。
話は変わりますが、
今私がこっちですべきことは、スポンジみたいにいろんなことを吸収すること。
そして、可能性をちょっとでも大きくすること。
まだまだ21歳の子ども?ですが、4ヶ月が経つミンダナオの生活を毎日、楽しんで、考えさせられて、言葉に苦労して、コミュニティ行って、たまに裁判観察して、ネットでワンピース見て、断食して、イライラする中で、私はフィリピン人っぽく気ままに頑張ってます!!
2010年8月9日月曜日
To Enter the Inside to the difference
Long time no sees every one^^ this is taka!! How are you? Are you already summer vacation in Japan?? Here in Mindanao, Ramadan will start from tomorrow in Islamic calendar. I’m not Muslim but I try to fasting. I’m not sure I am alive for 1 month…
Recently I went Lanton with a young organizer for simple survey about family and job and religion…
That’s nice opportunity to talk with people there… but I have some problems…
One is the language, and another one is young …
My tagalog and bisaya are not available at all until now even if 3month passed…
What I have to do is of course to study these languages. If I want to be the one to work in NGO or abroad, the most important thing in 1 year is language. I know that now, and this passed 3 month I was so lazy. I really respect international students who speak fluently the language in that place.
But now I’m not good speaker so every time I asked young organizer what they talking about. But she is also not good English speaker. (I am also not good English speaker) so we really upset each other. And some time I irritate her attitude, I became easy to angry since I came here. Perhaps I still adapt Philippine yet. Every time when I pay her transportation fee and lunch and so on, because she doesn’t have money, I got little irritation, and it’s become many times.
But someone gave me the advice that it supports their lives to ask something like money, foods and materials. The important thing is which measure I use, my measure or their measure…
Their attitude I irritate may be the way to survive in the strict environment.
I have to overcome this difference to understand and communicate with them.
When I think so, my attitude is also but for them.
From this day, I will change and think deeply and study language and enjoy with them.
Recently I went Lanton with a young organizer for simple survey about family and job and religion…
That’s nice opportunity to talk with people there… but I have some problems…
One is the language, and another one is young …
My tagalog and bisaya are not available at all until now even if 3month passed…
What I have to do is of course to study these languages. If I want to be the one to work in NGO or abroad, the most important thing in 1 year is language. I know that now, and this passed 3 month I was so lazy. I really respect international students who speak fluently the language in that place.
But now I’m not good speaker so every time I asked young organizer what they talking about. But she is also not good English speaker. (I am also not good English speaker) so we really upset each other. And some time I irritate her attitude, I became easy to angry since I came here. Perhaps I still adapt Philippine yet. Every time when I pay her transportation fee and lunch and so on, because she doesn’t have money, I got little irritation, and it’s become many times.
But someone gave me the advice that it supports their lives to ask something like money, foods and materials. The important thing is which measure I use, my measure or their measure…
Their attitude I irritate may be the way to survive in the strict environment.
I have to overcome this difference to understand and communicate with them.
When I think so, my attitude is also but for them.
From this day, I will change and think deeply and study language and enjoy with them.
2010年7月27日火曜日
Rally and SONA
こんにちは!!takaです。先週の土日に親戚集めて「吉川クリスタルビーチ」へ行ってきました^^きっと日本人が運営しているビーチなのでしょう!!飾らないきれいなビーチでしたが、子どもたちとはしゃぎすぎて風邪気味です・・・笑。たまにはリフレッシュもいいものです。
さてさて昨日26日は、フィリピンの新大統領ノイノイ・アキノ氏のSONA(state of national address)がありました。ようは、大統領の演説なのですが、フィリピンのいくつかの場所ではそれに合わせてラリーが開かれ、ここジェネラルサントス市でも約200人の規模でラリーが行われました。アテビンもそのラリーのためにラントンやクラセで呼びかけを行っていました。
ラリーの内容ですが残念ながら、タガログ語で行われ私が無知なためにあまり理解できませんでした。後で説明をしてもらうと、政治的殺害についてでした。アキノ氏が大統領になって一日目にジャーナリスト1人、NGO活動家5人が殺されたようです。大統領が命令したわけではないのだろうけれど、政治的殺害の問題が改善されるかどうかは重要な問題です。
その他にもラリーの中で、授業料増加反対やマイニング反対など、参加した人たちはそれぞれの主張を、声を張り上げて叫んでいました。アキノ氏は小学校を6年から7年に、高校を4年から5年に増やすと主張しています。(フィリピンでは中学校はありません。)それで卒業後に仕事が見つかるのかはさておき、学校に行く期間が二年も延びると、授業料が払えず学校を退学する子が増えるかもしれません。国民はそれに反対しています。
声を大にして主張した人の中にはラントン、クラセ、Mindanao State University、その他各地からの多くのの人たちがいます。LKMやモロの女性や大学の生徒など年齢、性別関係なく参加し、仲良くなった人や顔を知っている人たちが一度に集まるラリーが私はかなり好きです。内容をきちんと理解できないのが残念ですが、その分写真をたくさん撮って記録に残したいと思います。
フィリピンも新政権になって2ヶ月と少しが経ちますが、聞く話やテレビを見ていると反対している人が多いです。多くの国民は貧困に苦しんでいるのは明らかで、その人たちの声が政治に響くような政権になってほしいと思います。ラリーはそんな主張をする、または共有する大事な手段なんだと思います。
日本の新政権はどうなっているのでしょうか・・・気になります。。。
フィリピンでは今月はNutrition Month(栄養の月) ということで明日はラントンでFeedingがあります。ご飯作って子どもと食べてきます!!それでは7月も終わりますが、楽しい夏を過ごしていきましょう^^
Ps: 昨日からホストファミリーが飼っている猫(メス)が外に出しておくと妊娠してしまう、ということでボクの部屋にいます。猫との共同生活はなかなか和みます。
2010年7月20日火曜日
attention plwase!!
こんにちは!!takaです^^ 最近は体調がいい感じです!!が、軽く便秘気味です・・・。
さてさて、われらがアテビンですが、最近体調が優れません。レントゲンの結果、心臓が大きすぎて負担になっているそうです。心配です・・・。
そんなアテビンと主に2つのコミュニティによく行きます。
ひとつはRanton(ラントン)。去年11月に行ったコミュニティでMoro Women Centerによって建設されたデイケアセンター(プレスクール)があります。子どもたちはとてもうるさくて一人しかいない先生は毎日大変ですが、みんなかわいらしいです^^しかし時に危険です笑。けんかが始まったら誰かが泣きます。
18日(日)も午前中にモロの女性(30代以上の女性)、午後にLKM(モロユース)のミーティングのために行きました。しかし、午前中に集まったのはなんと3人!!他の人はみんな忙しそうにしていました。日曜日には彼女らは市場に行くのでミーティングに参加できませんでした。(何人かは掃除とか洗濯とかですが・・・)人が集まらず次回に延期になりました。
午後のLKMは前回参加した子の内、18人が欠席・・・。伝わってないのか、用事があるのかはわかりませんがとても残念な参加率です。ですが、新しく参加してくれた子もいます。
もうひとつはKulasi(クラセ)というコミュニティ。海岸沿いに位置して主に漁で生計を立てています。ここは土曜日に同じく女性とLKMのミーティングのため行ってきました。午前中の女性たちのミーティングには打って変わって約80人の女性が集まりました。入りきらずに外の通路に座って聞いている人もいるほどです。マイクも準備されていていろんな人がしゃべったいいミーティングでした。
午後のLKMは残念ながら前回決まったchairmanが不在のためまた多数決で役員を決め直しです。彼はバレーボールの選手で練習のため参加できなかったそうです。新しく大学生とコミュニティの漁業している男の子たちが参加してくれましたが、漁業のため何人か途中で帰って、結局大学生が中心の役員構成になりました。個人的に非常に残念な結果です。なぜなら、fishermanの男の子を巻き込めなかったから・・・。
4つのミーティングを通して、思うことが主に3つあります。
1つは彼らの都合のいい日に日程を調整すること。日曜日には女性たちは市場に行くし、平日は学校があるっていう条件を踏まえないといけない、ということ。
2つ目は人を集めるにはコミュニティのchairman, captainなどの協力が必要、ということ。もちろんアテビンと十分話し合った上での協力。クラシのchairmanはムスリムの女性でアテビンの話をよく聞いてくれて張り切ってミーティングの準備をしてくれていたので、大勢集まっていいミーティングが開けたんだと思います。
3つ目は、ミーティングが有意義なものでなければ人が集まらない、ということ。継続して参加してもらうには、参加して満足だったと感じてもらうことが大事なんじゃないかなと思います。大人はアテビンの話をよく聞いているから満足そうな様子ですが(実際に感じているかは分からないし、途中集中してない人もいるけど・・・)、LKMの10代中心の子たちはその場の雰囲気やノリで参加している子が多いので(女の子は比較的参加率がいいが、男の子は厳しい)、その子たちが次回参加してくれるようにするにはどうすればいいのか、と考えます。考えた結果、きっと参加して楽しかったら次回も着てくれるんじゃないかなと思います(個人的意見)。日曜日にコミュニティの広場で一緒に草刈りして遊んだ経験を踏まえて、みんな楽しんでやってくれていたので、次回は来てくれるんじゃないかな、と思います。(そんなに甘くないかな~)
ミーティングの内容はまた次載せようと思います。参加率が悪いのはフィリピン人の性格もあるかと思われますが、ミーティングに参加してもらえるように努力していきたいと思います。それでは!!
Ps: 最近アテビンの娘がちょくちょくいじってきます・・・。負けずにいじろうと思います。二人ともなかなか面白いです笑!!
2010年7月12日月曜日
im getting well!!
こんにちは!!takaです。最近やっと体調も回復しフィリピンの生活にも慣れてきました。コミュニティにも行かせてもらえます笑。
日曜日にはナプサさんと一緒にパササンバオ〈健康促進、オルタナティブな治療法の推進、コミュニティ内の健康セミナーなどの活動をしているナプサさんのNGO〉の活動に参加してきました。ココナッツの木がたくさん生えているティナガカンというところの子どもたちに健康、栄養素についてのセミナーを開きました。すごいなと感心したのは、説明をしているのが現地の14歳の女の子!!説明が上手とはいえないかもしれないけど、パササンバオが奨学金のサポートをしている子どもの一人で、その子が画用紙を見ながら子どもたちに説明します。外の人間じゃなくてそのコミュニティの人がメインアクターになっていて少々驚きでした。
そして私は空いた時間でニパ作りに挑戦しました。ニパとはココナッツの葉で作る屋根のことです。ココナッツの木が多いこの場所は、ニパ作りで生計を立てている人が多いです。
ニパ作りはとても難しかったです。しかし楽しい!!日本でもニパの家があったらいいのにって思う^^ニパは1つが2ペソで(約4円)売れて、学校がない土日には子どもたちがニパ作りを手伝ってます。コミュニティで一番早い子は一日に70個作ります。一日に140ペソ分のニパを作って家計を助けてます。
十分な収入とはいえないけど彼らの生活はニパ作りで成り立ってます。
話は変わって、最近いろんなコミュニティに行ったり、NGOの人と話したり、NGOの活動を見ていて思うことがあります。それは彼らの抱える問題が、そのコミュニティによって抱える問題は違うけれど、どうすれば解決するのか?どのようなアプローチがいいのだろうかっていうこと。ジェネラルサントス市にはブラアンという民族の子どもたちに学校を建設したり奨学金制度を通して支援している日本のNGOがあります。結構大きな団体で5つの学校をすでに建てて新しく高校を建設しようとしています。その団体の日本人の人と話す機会があるんですが、考え方がナプサさんやアテビンと違います。もちろんその団体の活動も立派なものだとは思うんですが、ナプサさん曰くそのコミュニティが必要としているのは何なのかっていうリアリティを彼は知らないらしいです。
本当に困っている人たちに何が必要なのかを知ることはたぶん日本人がフィリピンに来ても分からないような気はしますが、いろんな人とそのことについて話してみたいです。ちなみにナプサさんとアテビンはコミュニティで住民をオーガナイズしたりファシリテートしてエンパワーメントってやつに重点を置いて活動しています。その人たちが自分たちで何かできるようにすること。とても時間がかかる活動で、プロジェクトの経過と結果に重点を求める日本のNGOには難しい活動かもしれません。
んじゃ私はここで何をすべきなのか・・・。もちろんエンパワーメントなんて自分がパワーもってないのにできるかって話なんで、せめて自分が気づいたことをコミュニティの人に伝えたり、一緒になにか活動したり、調査まがいのコミュニケーションをしていってコミュニティの人にちょっと違った何かを感じて欲しいなって思います。
んー難しい!!!!! フィリピンでできることもあるけれど日本でできることもかなり多いなと思う近頃です。それではまた^^
2010年7月7日水曜日
i was in sick...
さてさてミンダナオに来て一ヶ月とちょっとが経ちました。この一ヶ月でだいぶこっちの生活にもなれてきました!!・・・と言いたいところですが、つい最近までデング熱というものにかかっていました。そしてさらに入院して点滴を打つという日本でもなかなか経験しないことをこないだまでしていました。
一ヶ月で体調を壊した回数、3回
飲んだ薬の数、たくさん
病院にいった回数、1回
検尿、2回 検便1回
なぜこんなに体が弱いのだろうか??高校ん時から弱いのは知っていたけどここまで弱いとは。ちなみにお腹の調子は特に問題ありません。なぜならもう薬を飲んでウイルスを取り除いたからです。日本にいた時よくお腹を壊していたのは体内のウイルス(アメーバがいたらしい)のせいです。ちなみにそのアメーバも昨年夏にフィリピンでもらいました笑
それで最近思うのは日本は清潔できれいな国だけど、日本人はばい菌やウイルス、病気に対して抵抗力が小さいのかな、ということ。フィリピンだけでなくほかのアジアの国もそうだけど、排気ガスはすごいは水はきたないはハエや蚊かものすごいは一年中暑いは、きれいとはいえない環境です。
そんな環境で子どもの頃から育ってきた彼らはとてもたくましいです。そしてなにより健康管理がとても上手です。
野菜、ビタミンC、魚などバランスよく取ること
疲れたときはまず休むこと
暑くても体を冷やすのは休んでから
日本人は健康管理があまり上手ではないのか(それとも俺が下手なだけなのか笑)と考えるこのごろです。そしてフィリピン人は沢山蚊がいるのにあまり噛まれないのはなぜなんだろう・・・。
退院してやっと体調が元に戻りつつあります。しかし、実は俺が退院した時に、アテビン(お世話になっている人)の知り合いの人の従妹が俺と同じデング熱にかかってパブリック病院に入院してるとのこと。同じ病気ですが、重さは人によって違います。・・・その子はまだ20歳になってませんが、今日病院でなくなりました。俺が入院したとこは私立の病院でお金のかかるところだったけど、公立のは一番安いけど十分な治療ができません。緊急で私立の病院に搬入したけど間に合わずCPUの中でなくなったそうです。
フィリピンの病院は金がかかります。体調管理が上手と書いたけど、それは病院にかからなくても大丈夫なようにするためで、思い病気になってしまったり出産の時には病院にいかなければならない。
デング熱の子は一度も会ったことないけど、でもその子が亡くなったと聞いて落ち込みました。俺は幸い治療を受けられる環境にあるけど、やっぱりほとんどのフィリピン人は治療が受けられず、病気に苦しんだりなくなったりしてるんだと感じる。
久しぶりの日記がちょっと暗いけど、僕は早く治して元気出したいと思います。それと皆さんもしよかったらブログ見てくださいね!!それでは^^
Ps: Wカップ日本惜しかったですね。でも非常に日本にとっていい大会だったと思います。解説の人は本田のことSuzuki HONDAと呼んでました笑
一ヶ月で体調を壊した回数、3回
飲んだ薬の数、たくさん
病院にいった回数、1回
検尿、2回 検便1回
なぜこんなに体が弱いのだろうか??高校ん時から弱いのは知っていたけどここまで弱いとは。ちなみにお腹の調子は特に問題ありません。なぜならもう薬を飲んでウイルスを取り除いたからです。日本にいた時よくお腹を壊していたのは体内のウイルス(アメーバがいたらしい)のせいです。ちなみにそのアメーバも昨年夏にフィリピンでもらいました笑
それで最近思うのは日本は清潔できれいな国だけど、日本人はばい菌やウイルス、病気に対して抵抗力が小さいのかな、ということ。フィリピンだけでなくほかのアジアの国もそうだけど、排気ガスはすごいは水はきたないはハエや蚊かものすごいは一年中暑いは、きれいとはいえない環境です。
そんな環境で子どもの頃から育ってきた彼らはとてもたくましいです。そしてなにより健康管理がとても上手です。
野菜、ビタミンC、魚などバランスよく取ること
疲れたときはまず休むこと
暑くても体を冷やすのは休んでから
日本人は健康管理があまり上手ではないのか(それとも俺が下手なだけなのか笑)と考えるこのごろです。そしてフィリピン人は沢山蚊がいるのにあまり噛まれないのはなぜなんだろう・・・。
退院してやっと体調が元に戻りつつあります。しかし、実は俺が退院した時に、アテビン(お世話になっている人)の知り合いの人の従妹が俺と同じデング熱にかかってパブリック病院に入院してるとのこと。同じ病気ですが、重さは人によって違います。・・・その子はまだ20歳になってませんが、今日病院でなくなりました。俺が入院したとこは私立の病院でお金のかかるところだったけど、公立のは一番安いけど十分な治療ができません。緊急で私立の病院に搬入したけど間に合わずCPUの中でなくなったそうです。
フィリピンの病院は金がかかります。体調管理が上手と書いたけど、それは病院にかからなくても大丈夫なようにするためで、思い病気になってしまったり出産の時には病院にいかなければならない。
デング熱の子は一度も会ったことないけど、でもその子が亡くなったと聞いて落ち込みました。俺は幸い治療を受けられる環境にあるけど、やっぱりほとんどのフィリピン人は治療が受けられず、病気に苦しんだりなくなったりしてるんだと感じる。
久しぶりの日記がちょっと暗いけど、僕は早く治して元気出したいと思います。それと皆さんもしよかったらブログ見てくださいね!!それでは^^
Ps: Wカップ日本惜しかったですね。でも非常に日本にとっていい大会だったと思います。解説の人は本田のことSuzuki HONDAと呼んでました笑
2010年6月22日火曜日
stuation of hospital in mindanao
こんにちは!!takaです^^フィリピンで髪を切りました!!すっごい切られましてしかも変な髪形…。早く髪が伸びることを願って、それまでは市場で買った帽子を愛用しようと思います。
そして今日はコミュニティのことは次回に回して、市内の病院のことを少しですが紹介します。
ここジェネラルサントス市ではPublic Hospitalはひとつしかありません。一応Publicなので政府が管理しているのですが、そこは病院というより避難所のように感じました。一階立ての建物でそこには生まれたばかりの子どもと母親がざっと100人くらいいました。
しかし、ほとんどの患者さんは部屋がなく、待合室、廊下、約30のベッドが並んでいる大広間に所狭しとベッドを並べて横になっていました。出てくる料理はプレートにご飯1カップとおかず少しにバナナ一本です。双子の赤ちゃんが生まれた家族は待合室にベッドを並べて横になっていました。生まれて1ヶ月ほどの赤ちゃんはお腹の調子が悪く、薬を飲ませてもすぐに床にはいていました。
生まれたばかりの赤ちゃんにはまだ免疫がなく、清潔な環境でないとすぐに病気になってしまいます。そのため、生後まもない母子には入院することを病院側は勧めるのですが、その数がとても多いため病院のキャパが間に合っていません。
もちろんPublic Hospitalのなかにも一人部屋があって、そこにはテレビもエアコンもきれいなトイレも備わって快適なところです。しかし、そこですごすには一日800ペソ(約1600円)かかります。ジェネラルサントス市には私立の病院はたくさんありますが、私立だと一人部屋の値段は一日1500ペソ(約3000円)かかってしまうそうです。しかし、Public Hospitalの大広間は一日300ペソ(約600円)でいいそうです。
ちなみにジェネラルサントス市のデパートで働く人の給料を聞くと一日160ペソ(約320円)でした。この給料から考えてPublic Hospitalの個室で一週間生活すると、単純計算で35日分働かなければなりません。
また、病院には十分な薬がありません。アテビンの知り合いの女性が出産に手術が必要になり、そのため薬を買いに行くことになりました。市内のドラッグストアを7~8件回っても見つからず、私立の病院にいってもありませんでした。結局薬は買うことができず、そのまま手術し出産しました。何の薬かは分かりませんが、きっとめずらしい薬だとは思いますが、薬の種類、個数が足りないのだなと、実感しました。
市内の多くの妊婦さんはいちばん安くすむように病院へ行きます。そのため、Public Hospitalは患者さんであふれかえり、薬も不足している現状です。市内の人はそれでも病院にアクセスしやすいですが、町から離れているコミュニティの人はどうしているんでしょうか。フィリピンの病院事情でした。
PS:i participate rally on 22 June, its so fun for me haha.
2010年6月13日日曜日
MY BOSS AND FRIENDS
こんにちは、takaです。やっぱり自分のパソコンを使って自分の言葉(日本語)でアップしようと思います。そして、私は今のとこののんびり過ごしています。とても暑くて毎日夏バテです。。。
さてさて今日はお世話になっている人たちを紹介します。
私が一番お世話になっているボスの名前は通称アテビン。10人兄弟の長女で55歳のお方です。とてもパワフルで毎日毎日忙しい日々をすごしています。子どものころ住んでいたところを軍に追われ、父親も軍に殺されました。悲惨な過去を持つ彼女は1994年からオーガナイザーとして働いていて、子ども、母親、農民、漁民、コミュニティなど組織化、ファシリテートしてきました。今はMORO WOMEN CENTERのボスで私は彼女にいつもくっついています。
次に紹介するのはそんなアテビンの姉妹にあたるナプサさん。彼女もまた力強くPASASAMBAOというNGOのリーダーです。PASASAMBAOは主にヘルスケア、健康促進が主な活動ですが、コミュニティに行ってセミナーを開いたり、患者を診断したりしています。お腹の調子が悪い時、私も鍼治療してもらいました。とても元気で優しい人です。
次に紹介する人もまた彼女たちの姉妹で埼玉在住のアテアガです。彼女は以前MORO WOMEN CENTERのスタッフでしたが、日本人の方と結婚し日本で暮らしています。そんな彼女もまた、KAFFINというNGOで活動していて、日本在住でさまざまな問題(異文化、言語、コミュニケーション、DVなど)を抱えるフィリピン人の支援をしています。とても親身に話をする姿が印象的だった方でした。
他にも、モロユースとして4月から活動しているジェネリンとファウ、昨年12月もお世話になったサムさんやミッシェル、ジェネラルサントス事務所にいる日本のNGO ICANの拓哉さんやコミュニティの人たち、一緒に住んでいるアテビンの家族の人たち、などなどたくさんの人たちと出会ってすごしています。
しかし、やはりアテビンの姉妹はとても活動的で毎日感化されています。(感化されてばかりじゃいけないのですが…苦笑)彼女たちを表彰する機会を絶対設けるべきだ、と心の中で思っています。
ちなみにアテというのはフィリピノ語でお姉さんという言葉です。年上の女性を呼ぶ時に使います。ナプサさんは自然にナプサさんと呼んでいます。
次回はコミュニティに行ったことをアップしようと思います。みんなぜひ見て感想ください!!それではまたー^^
PS; in the house i stay, i can watch the 2010 FIFA W-cap south Africa on TV
2010年6月6日日曜日
Long time no see^^
How are you?? It took 2 weeks since I came here in General Santos city. And I am so sorry to write blog in English...
For 2 weeks... I met many people.. Someone are organizer, someone live in community, someone has a 11 finger!! but he is a gey and too close to me ;_;..
Today I introduce the one big problem about Brownout.
Nowadays I experience brownout(like teiden). According my boss it starts from January, and the electric company(SOCOTECO2) don't supply the electric power. Before January, they can supply enough electric power for 2 province and 1 city. NGCP and coral houlding are the big company which own the power plant in miondanao.Actually they own power plant and SOCOTECO2 is a buyer from them. According to them, the brownout is cause shortage of electric and insist the necessary to build new coal-fire power plant..
but during election and the boxing game in TV, there are no brownout and my boss ate bing and other organization act against that.
on May 30, she went to community for the discussion about brownout. there are 20 people and it took 2 hours... people said the electric bill increase from 4 peso to 7 peso/KW and they also against brownout.
and also May 30. we made poster for anti-power plant with moro youth.
on June 1, there is a demonstration in Gensan. I couldn't go there because of danger and my stomach ache... around 70 people attended and they shout and put the poster on the wall with other group BAYAN MUNA, GABRIELA,ANAKPAWIS,ACT TEACHERS'PARTYLIAT,KABATAAN,KATRIBU.(these may be a partylist but im not sure)
So in here gensan, They will fight against electric company for their life. I am not sure what happened but I try to understand about brownout..
2010年5月20日木曜日
読書会^^
こんにちは~takaです!!
ブログを書いていて思います。文が長すぎて読みづらいです。。。これじゃうまく表現できず、打ってる俺自身が疲れて内容がグダグダになってしまいます。ので今後から頑張って分かりやすくかつ短く書いていきます^^
今回のブログは読書会について書きます。ちなみに先週から始まり今日二回目を開催しました。(前回は「第二の侵略」というビデオを見ました)
参加者は6人!!先輩が休まれてちょいと心配です…。
読んだ本は「バナナと日本人」鶴見 良行 岩波書店 です。
・私たちが食べているバナナがどこからきているか
というところから始まり
・ミンダナオ島の土地問題
・日本人のミンダナオ入植の歴史(麻農業)
・バナナ農園の出発
・多国籍企業の戦略
・契約農家の実態
そして
・日本の食卓へ
・作る人のことを思いながら
といった流れで書かれている本です。俺がバナナのシールを見るきっかけを作った本です。
ぜひ皆さんも読んでみてください^^あっ読書会も参加してみてください^^
俺もこの本のように、ミンダナオで調べ物とかして自分の感情論ではない客観的なデータを書いていけたらと思っています。
それでは、24日いざフィリピンに行ってこようと思います。
ブログを書いていて思います。文が長すぎて読みづらいです。。。これじゃうまく表現できず、打ってる俺自身が疲れて内容がグダグダになってしまいます。ので今後から頑張って分かりやすくかつ短く書いていきます^^
今回のブログは読書会について書きます。ちなみに先週から始まり今日二回目を開催しました。(前回は「第二の侵略」というビデオを見ました)
参加者は6人!!先輩が休まれてちょいと心配です…。
読んだ本は「バナナと日本人」鶴見 良行 岩波書店 です。
・私たちが食べているバナナがどこからきているか
というところから始まり
・ミンダナオ島の土地問題
・日本人のミンダナオ入植の歴史(麻農業)
・バナナ農園の出発
・多国籍企業の戦略
・契約農家の実態
そして
・日本の食卓へ
・作る人のことを思いながら
といった流れで書かれている本です。俺がバナナのシールを見るきっかけを作った本です。
ぜひ皆さんも読んでみてください^^あっ読書会も参加してみてください^^
俺もこの本のように、ミンダナオで調べ物とかして自分の感情論ではない客観的なデータを書いていけたらと思っています。
それでは、24日いざフィリピンに行ってこようと思います。
2010年5月19日水曜日
前回のつづき
こんにちは^^takaです!!21日の金曜日に実家のある広島に帰ります。さすがに家族とばあちゃんその他小さい頃からお世話になってる人のとこに顔を出していこうと思います。
前回書いたブログの内容を若干忘れてしまいましたが、つづきの強い動機について書きたいと思います。俺が12月に行ったとき一番強く感じたことはミンダナオとフィリピンのつながりです。どんなつながりかというと、一方的な押し付けがましく見えにくいつながりです。現地の生活と私たちの生活のつながりです。。。それを身近なもので紹介します!!
フィリピンといえば何を思い浮かべますか??
フィリピンミンダナオ島といえばやはりバナナです!!(フィリピンパブの人もいると思いますが笑)みなさんが食べているであろうバナナは約80%はフィリピン産だと思います^^俺も高校のとき朝たくさん食べてました!!そんなバナナについているシールには何が記されているでしょう!?
Dole又はDel monteかなんかのシールだと思います。そしてそれはアメリカの企業名です。今度買い物に行くときにスーパーの果物コーナーにある商品をよーくみてみてください。パイナップルとかジュースとかそのシールがついているものは結構あります。日本では生産が難しいものがたくさん海外から送られてきています。
これが私たちの日本での生活の一部ですが、俺がフィリピンでみた光景、そして勉強していることは輸出している側のことです。。。
フィリピンは前にいった通り農業国なんで「土地」が最重要になっています。しかしそんな土地を大規模に所有しているのは現地の人々ではなく外資系企業になっています。それがすなわち、アメリカのDoleやDel monteといった会社が所有しています。ちなみにミンダナオを車で移動していましたらパイナップルプランテーションがありました。道なりに地平線まで広がりパイナップルが生い茂っています。かれこれ15分、車で走ってもその景色は続きました。。。
なにが言いたいかというとそのプランテーションってのが厄介です。いったいどうやってアメリカ企業はその土地を手に入れたのでしょうか。。。フィリピンではミンダナオ島で10の法律がありました。その中には政府に土地登録していない土地は公有地とし政府の所有となる、公有地法。また、イスラム教徒の土地はすべて公有地になる。さらに、公有地は無償で企業に使用できるという法律があります。そして土地制限としてイスラム教徒は4ヘクタール、キリスト教徒は24ヘクタール、企業は1024ヘクタールまでと制限があります。(第二の侵略、ビデオ参照)
ちなみに初めて日本人で資源をもとめミンダナオに入ったのは戦中の頃です。その人は麻を求めていました。植民地時代を経て今までアメリカを始め日本やスペインの企業がその豊かな資源を求めミンダナオに進出しています。そんな企業はフィリピン政府や軍と絡んでどんどん土地を得ていきました。
土地は先祖代々先祖から引き継いでいます。もちろん政府に申請したりはしていませんでした。そんな中ある日、土地を軍がきて奪われてしまいます。ジェノサイドとよばれる虐殺もおこりました。。。避難民もかなりの数出ました。私がお世話になるアテビンのお父さんもフィリピン軍に撃たれて殺されました。
アテビンはそんな現状で苦しんでいる人たちの支援を考えて、組織を作ったり職業支援したりと活動を続けています。前に書いたラントンというコミュニティは軍からから避難して集まった人びとがすんでいるところです。
現地でそのような話を聞いて俺が思ったことは、現地ですむ人びとぼ犠牲の上に生産されるバナナとか多くのものを私たちがなにも知らずに消費している現状、この国が食料自給率が40%ということ、何も知らないということが世界に住む人びとに悪影響を与えているんだ、ということをいろんな人に知ってもたいたい、ということです。
現地との関わりを知ること、そしてそれを知って何か少しでも行動がかわることを目標にして読みやすいブログとか写真とか伝えていけたらと思います!!では授業に行ってきます(遅れてすみません)
長文読んでいただきありがとうございます^^
前回書いたブログの内容を若干忘れてしまいましたが、つづきの強い動機について書きたいと思います。俺が12月に行ったとき一番強く感じたことはミンダナオとフィリピンのつながりです。どんなつながりかというと、一方的な押し付けがましく見えにくいつながりです。現地の生活と私たちの生活のつながりです。。。それを身近なもので紹介します!!
フィリピンといえば何を思い浮かべますか??
フィリピンミンダナオ島といえばやはりバナナです!!(フィリピンパブの人もいると思いますが笑)みなさんが食べているであろうバナナは約80%はフィリピン産だと思います^^俺も高校のとき朝たくさん食べてました!!そんなバナナについているシールには何が記されているでしょう!?
Dole又はDel monteかなんかのシールだと思います。そしてそれはアメリカの企業名です。今度買い物に行くときにスーパーの果物コーナーにある商品をよーくみてみてください。パイナップルとかジュースとかそのシールがついているものは結構あります。日本では生産が難しいものがたくさん海外から送られてきています。
これが私たちの日本での生活の一部ですが、俺がフィリピンでみた光景、そして勉強していることは輸出している側のことです。。。
フィリピンは前にいった通り農業国なんで「土地」が最重要になっています。しかしそんな土地を大規模に所有しているのは現地の人々ではなく外資系企業になっています。それがすなわち、アメリカのDoleやDel monteといった会社が所有しています。ちなみにミンダナオを車で移動していましたらパイナップルプランテーションがありました。道なりに地平線まで広がりパイナップルが生い茂っています。かれこれ15分、車で走ってもその景色は続きました。。。
なにが言いたいかというとそのプランテーションってのが厄介です。いったいどうやってアメリカ企業はその土地を手に入れたのでしょうか。。。フィリピンではミンダナオ島で10の法律がありました。その中には政府に土地登録していない土地は公有地とし政府の所有となる、公有地法。また、イスラム教徒の土地はすべて公有地になる。さらに、公有地は無償で企業に使用できるという法律があります。そして土地制限としてイスラム教徒は4ヘクタール、キリスト教徒は24ヘクタール、企業は1024ヘクタールまでと制限があります。(第二の侵略、ビデオ参照)
ちなみに初めて日本人で資源をもとめミンダナオに入ったのは戦中の頃です。その人は麻を求めていました。植民地時代を経て今までアメリカを始め日本やスペインの企業がその豊かな資源を求めミンダナオに進出しています。そんな企業はフィリピン政府や軍と絡んでどんどん土地を得ていきました。
土地は先祖代々先祖から引き継いでいます。もちろん政府に申請したりはしていませんでした。そんな中ある日、土地を軍がきて奪われてしまいます。ジェノサイドとよばれる虐殺もおこりました。。。避難民もかなりの数出ました。私がお世話になるアテビンのお父さんもフィリピン軍に撃たれて殺されました。
アテビンはそんな現状で苦しんでいる人たちの支援を考えて、組織を作ったり職業支援したりと活動を続けています。前に書いたラントンというコミュニティは軍からから避難して集まった人びとがすんでいるところです。
現地でそのような話を聞いて俺が思ったことは、現地ですむ人びとぼ犠牲の上に生産されるバナナとか多くのものを私たちがなにも知らずに消費している現状、この国が食料自給率が40%ということ、何も知らないということが世界に住む人びとに悪影響を与えているんだ、ということをいろんな人に知ってもたいたい、ということです。
現地との関わりを知ること、そしてそれを知って何か少しでも行動がかわることを目標にして読みやすいブログとか写真とか伝えていけたらと思います!!では授業に行ってきます(遅れてすみません)
長文読んでいただきありがとうございます^^
2010年5月10日月曜日
フィリピンに行く前に
こんにちは~takaです^^ フィリピンに行く前に、どのような背景があっていくのかを書いておこうと思います!! その前に昨日俺にとっての今季リーグ最終戦、勝って終われてよかった。でもしんみりしたくないしまた帰ってきたときは一緒にボール蹴りましょう!!
さてさてフィリピンの最初にきっかけは大学一年目の初めての外国語「フィリピノ語」笑。何を思ってとったのかこの授業のおかげでその夏フィリピンに行き。。。それから2~3回フィリピンに行きましてその都度やさしくあったかい人たちに会ってます。
こないだ2009/11月末に行ったミンダナオはその中でも大きな衝撃を受け、それが今回再び休学して行こうと思ったきっかけです。この謎のブログをどんな人が見てどう思うのか分かりませんがちょっとでもその衝撃や自分が今感じていること、現地で感じることが伝われば嬉しいです。
ミンダナオはですね(っていってもまだ俺も勉強中なんできちんとした事実とかデータをうまく使えませんが、行って感じた体験談を書いてみます)自然がいっぱいの場所です。っていっても≪the ジャングル≫みたいな感じじゃないですよ。ちゃんとした市場も建物も道路もあります^^
フィリピンは農業国なんですが、その中でも断然大きな資源が眠っているところでして、フィリピン産バナナといえば大抵この場所のものかと思います。ジェネラルサントスシティっていう別名ジェンサンも空港に着いたら立派な木々が生い茂ってます。そこの地域の木が70年代かそこらの日本の家とかに使われてました。
ミンダナオ島にはイスラム教の人たちもいます。フィリピン国内の宗教の割合は約90%がキリスト教で約5%ですが、その約5%の人たちがそこに住んでます。ところでみなさんはイスラム教っていうとどう感じますか??日本自体が無宗教国で特に何も思わなかったり、9.11以降イスラム教徒は危ないんじゃないか??とか思ったりする人もいるかもしれませんが、フィリピン国内では彼らに対しての差別は大きなものとなってます。首都マニラでタクシーに乗った時に運転手さんに「ミンダナオに行った」というと「あそこはイスラム教がたくさんいて危険だから私たちは行かない」と言われました。ただでさえ仕事が少ないフィリピンでイスラム教徒ということでさらに生活が困難になってしまっています。ちなみにフィリピンではイスラム教徒のことをモロといいます。
そして今回俺がお世話になるのがNGO『Moro Women Center』です。決して大きな団体でなく運営とかも苦しい状況です。そこへ自分の生活すらも困難な俺がお世話になりにいきます。笑 その団体はデイケア(幼稚園教育)や織物支援(今は中断中)、青年の組織化(非行に走らないように)などなどの活動をしています。俺がそこに行ってやることは今のところ、デイケアの先生の手伝いとMWCの活動メモ、ニュースレター作りetc... あとサッカー普及させたりあっちの青年となんかやりたいです。
そしてこのミンダナオ滞在で重要な場所がラントンというコミュニティです。ここの人たちはある理由があって避難してきた人が作ったコミュニティです。その理由っていうのが俺の今のモチベーションになってます。
つづく
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