フィリピン共和国ミンダナオ島にはルマドと称される先住民族のグループがいくつかあります。そのひとつのチボリ民族のコミュニティを9月中旬に始めて訪れました。
HANDSの真紀子さんとカトリック修道会へ行きそこでエドウィン神父とリコさんと合流して車で出発しました。カトリック修道会の敷地内にCMIP(catholic mission to indengerous people)という組織があり、HANDSはそこと長年協力して事業を行っています。
ジェンサンから車でサノーセのほうへ向かいそこから山を登り、出発から約2時間後着いたのがチボリのコミュニティ、タンダ村です。HANDSの事業で今年6月に水道が通され公共水汲み場ができました。水を使っている人の話を聞くと、昔は一日に数回水を汲みにコンテナを2つ3つ持ち、山を下って川で水汲みをしていたそうです。男性は農業の仕事があるので水汲みは女性や子どもの仕事でした。実際山を歩いてみて思うことは、ほんとに重労働であること。人が歩いてできた道ではなく水が流れていたところが道だと思ってしまうほど狭かったり急だったり・・・。私も歩いていて何回もこけました。そんな道を今回の水道建設まで何十年も通ってきたのは大変だったろうと心底思います。
現在は村に2つある水汲み場にたくさんの人が集まって自由に水を汲んでます。「空いた時間で他の家事をしています」「毎日洗濯や水浴びができるようになりました」など答えてくれました。村に水汲み場ができて、簡単に水が手に入るようになった便利さのほかに、近所の人が自然に集まって会話する機会も生まれたように思いました。
タンダ村から今度は別の村へ、徒歩で山を通って移動しました。到着までに1時間という道のりでしたが、着いてみると本当に数えられるほどの家しか立っていない村でした。山から見た景色は格別にきれいでしたがその村はほとんど市や町の人と交流がほとんどないように思います。その村はタンダ村と同じくチボリ族の村で人里はなれた山奥に住んでいます。水道事業もそこでありタンダと同じような効果を発揮しています。しかし、その村は他にも土地的に多くの問題を抱えていそうです。まだ世代は若いですが、日本でいう限界集落だと思います。
では、なぜ彼らはそこに住んでいるのでしょう?そこに住み始めたのはフィリピン政府がミンダナオに入植政策を行い始めた頃から。ミンダナオの資源や土地のために、フィリピン北部・中部から多くのクリスチャンが入植しました。それにより、もとより住んでいた先住民は土地を奪われ山奥へ追いやられました。
今では生活手段がそこにあったり、言葉が違っていたりと(民族ごとで違う言葉を話します。)なかなか町へでることも難しいようです。
今後その孤立した村(実際は孤立していないかもしれませんが)がどのような未来を切り開いていけるのか、心配になります。
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