2010年5月19日水曜日

前回のつづき

こんにちは^^takaです!!21日の金曜日に実家のある広島に帰ります。さすがに家族とばあちゃんその他小さい頃からお世話になってる人のとこに顔を出していこうと思います。

前回書いたブログの内容を若干忘れてしまいましたが、つづきの強い動機について書きたいと思います。俺が12月に行ったとき一番強く感じたことはミンダナオとフィリピンのつながりです。どんなつながりかというと、一方的な押し付けがましく見えにくいつながりです。現地の生活と私たちの生活のつながりです。。。それを身近なもので紹介します!!

フィリピンといえば何を思い浮かべますか??
フィリピンミンダナオ島といえばやはりバナナです!!(フィリピンパブの人もいると思いますが笑)みなさんが食べているであろうバナナは約80%はフィリピン産だと思います^^俺も高校のとき朝たくさん食べてました!!そんなバナナについているシールには何が記されているでしょう!?

Dole又はDel monteかなんかのシールだと思います。そしてそれはアメリカの企業名です。今度買い物に行くときにスーパーの果物コーナーにある商品をよーくみてみてください。パイナップルとかジュースとかそのシールがついているものは結構あります。日本では生産が難しいものがたくさん海外から送られてきています。

これが私たちの日本での生活の一部ですが、俺がフィリピンでみた光景、そして勉強していることは輸出している側のことです。。。
フィリピンは前にいった通り農業国なんで「土地」が最重要になっています。しかしそんな土地を大規模に所有しているのは現地の人々ではなく外資系企業になっています。それがすなわち、アメリカのDoleやDel monteといった会社が所有しています。ちなみにミンダナオを車で移動していましたらパイナップルプランテーションがありました。道なりに地平線まで広がりパイナップルが生い茂っています。かれこれ15分、車で走ってもその景色は続きました。。。

なにが言いたいかというとそのプランテーションってのが厄介です。いったいどうやってアメリカ企業はその土地を手に入れたのでしょうか。。。フィリピンではミンダナオ島で10の法律がありました。その中には政府に土地登録していない土地は公有地とし政府の所有となる、公有地法。また、イスラム教徒の土地はすべて公有地になる。さらに、公有地は無償で企業に使用できるという法律があります。そして土地制限としてイスラム教徒は4ヘクタール、キリスト教徒は24ヘクタール、企業は1024ヘクタールまでと制限があります。(第二の侵略、ビデオ参照)

ちなみに初めて日本人で資源をもとめミンダナオに入ったのは戦中の頃です。その人は麻を求めていました。植民地時代を経て今までアメリカを始め日本やスペインの企業がその豊かな資源を求めミンダナオに進出しています。そんな企業はフィリピン政府や軍と絡んでどんどん土地を得ていきました。

土地は先祖代々先祖から引き継いでいます。もちろん政府に申請したりはしていませんでした。そんな中ある日、土地を軍がきて奪われてしまいます。ジェノサイドとよばれる虐殺もおこりました。。。避難民もかなりの数出ました。私がお世話になるアテビンのお父さんもフィリピン軍に撃たれて殺されました。

アテビンはそんな現状で苦しんでいる人たちの支援を考えて、組織を作ったり職業支援したりと活動を続けています。前に書いたラントンというコミュニティは軍からから避難して集まった人びとがすんでいるところです。

現地でそのような話を聞いて俺が思ったことは、現地ですむ人びとぼ犠牲の上に生産されるバナナとか多くのものを私たちがなにも知らずに消費している現状、この国が食料自給率が40%ということ、何も知らないということが世界に住む人びとに悪影響を与えているんだ、ということをいろんな人に知ってもたいたい、ということです。

現地との関わりを知ること、そしてそれを知って何か少しでも行動がかわることを目標にして読みやすいブログとか写真とか伝えていけたらと思います!!では授業に行ってきます(遅れてすみません)

長文読んでいただきありがとうございます^^

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